少年犯罪 からだの声を聴かなくなった脳 瀬口豊廣より その3

*食文化の崩壊
・1954年余剰農産物処理法案がアメリカ合衆国議会で成立した
日本では学校給食法ができた年である

1956年アメリカ西部小麦連合会が余剰小麦を
日本に売り込む戦略を立てた
「キッチン・カー」と名付けられた12台のバスが6年間にわたって
「栄養改善・粉食奨励」をスローガンに日本全国の農村を巡回し
小麦のPR活動を行った
「白米過食は短命のもと」といったデマゴギーまで展開して小麦食の推進を図ったが
なんとわが厚生省も財団法人日本食生活協会を設立してその旗振りに当たらせた
これには当時のカネで1億数千万の運営資金がアメリカ農務省から提供されている

ついで1957年、この連合会は5千7百万円の軍資金を持って
日本の文部省と手を組み学校給食の普及キャンペーンを繰り広げていった

さらに1960年、アメリカ飼料穀物協会と我が国の農林省が結託し
社団法人日本飼料協会を作り、1961年から10年間
余剰肉(鶏肉・鶏卵・豚肉)をも売りつけようと日本のマスメディアを利用した
それらのことによって小麦、肉の消費量が激増し
今日、休耕田を増やさざるを得ないような米食の衰退を招いている

この小麦の問題が1978年NHKテレビで「食卓の陰の星条旗—米と麦の戦後史」
として放送された。
のちにこれが1冊の本としてまとめられ「アメリカ小麦戦略」として出版されている

当時のアメリカ西部小麦連合会の会長であるリチャード・バウム氏はその本の中で
次のように発言している
「キッチン・カーは私たちが具体的プログラムとして日本で最初に取り組んだ
事業でした.。
つづいて学校給食の拡充、パン産業の育成など、私たちは初期の市場開拓事業の
全精力を日本に傾けました。
ターゲットを日本に絞り、アメリカ農務省の援助資金を集中させたのです
その結果、日本の小麦輸入量は飛躍的に伸びました
日本は私たちにとって市場開拓の成功のお手本なのです」

・コメと麦の違いは何かといえば、米は粒のまま食べるのに比べて
麦は挽いて粉として食べる、すなわち主にはパンである
ご飯である「粒食」文化とパン食である「粉食」文化の違いは咀嚼筋の発達にも
関わってくる。
主食になりうるご飯に対してそうでないパン食はどうしても肉や乳製品を
摂らなければ栄養も偏ってしまうしカロリー不足でもある
一方で日本では手軽におやつ感覚で食べられる菓子パンが発達したが
チョコレートやクリームといった添加物にまみれた人工甘味料で
食べれば即空腹感が満たされるこの様な食品は
身体に撮っては基本的な栄養素が摂取できない代物だ
身体に芯をつくりだすことができないのである

ヨーロッパ社会では大きな変化のない気候と乾燥し荒れた大地であることが
合理主義を生みだした。日本の社会では移ろいくる四季と豊かな水源に囲まれて
自然は多くの恵みを与えるとともに災害をももたらす神秘性を帯び
その結果、経験的なとらえ方としてのアニミズムが生まれた
世の中のすべてのことが理性でもって説明がつくとする合理主義と
人の力ではどうすることも説明のしようもないものがあるのだとする経験主義が
それぞれに特徴的な風土から必然的に生まれた。食物とて同じである。
暑い所は暑いなりに、寒い所は寒いなりに、その気候風土に適した作物ができる

・日に焼けて色が黒くなるのは、生理学的にはメラニン色素が増えるからだが
なぜ増えるかというと紫外線を防ぐためなのである
必要以上の熱吸収からの生理的な自衛策であり、
それによって体温も一定に保持できる。
熱帯地方の作物はその内側に水分を多く蓄えることで暑さから身を守り
人間はその作物を食べることでエネルギーの消耗を緩和し
体の恒常性を維持しようとする。
作物であろうと、生命体であるからには環境に適合していくメカニズムに
大きな違いはなく、それを食すということは、われわれ人間が環境に
順応しやすい生理的条件を整える意味で合理的なのである

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