少年犯罪 からだの声を聴かなくなった脳 瀬口豊廣より その8

・少年犯罪だけでなく、いろんな事件が報道されるたびに
メディアは街頭での市民の声を流してきた
そして「信じられない」とか『怖くて外に出られない』といった声を
善良な市民の代表として世論操作しているようにも見受けられる
そこにはまた、こんな異常な人間が世の中にいることを
糾弾することがメディアの使命でもあるかのような報道のされ方も多い
何を正常と考えるのか、という根拠は明示せず
ただ感覚的に異常だと発信することの気味悪さ
メディアによって支配される日常に取り込まれる大衆は
そうやって益々自らによる思考を放棄していく

・法に触れた悪事は厳然と裁かなければならないが、一方で、
その人はそう行為づけられるような環境に育てられたということであり
自分ももしその環境にあったならば、そうなっていたかもしれない
という可能性を想像力として持っておいた方がいい。
むしろ、悪事に身を染める環境に自分はなかったという幸運に
感謝すべきであって、それを忘れて一面的な情報で
他人を裁き「評論」するのはいかがなものか。

・「この世に存在するのは男と女だけであって人間などという実体が
あるわけではない」とある学者が言ったが、それはその通りである。
それでは男はあるいは女とは何かということになるが,その両者に
共通したものが人間としての抽象的な意味での本性となるのではないか
生物学的なものを除いて考えると、それはまず『意識』を持った
存在であることであり,そのことによって動物と違って物事を
相対化することができるという特性ができあがる
相対化とは関係を意識することにほかならず、その意味において
人間が社会的存在であることを自覚することもできるということである。
人間が意思的・社会的・自覚的存在であるという意味はあくまでも
可能性としてそのようになれるということを指し示す以上のことではない。
そして人間の欲望(食欲・性欲・集団欲)も意識という幹から派生した枝に過ぎない

<タカサゴユリがまださいていました>