私にとってのこれからの当事者生活

◇◆当事者会(活動)とは本来とっても楽しいもの◆◇

私は今までいくつかの「当事者会」に参加・所属してきました。
「精神障がい者のSHG」、「ひきこもりの当事者会」、
「発達障がい者のSHG」、「ひきこもりもスタッフとして関わる居場所」。

これだけですが、それぞれにそれぞれのやり方や
形(スタイル)があり、私なりに楽しもうとはしてきました。
ですが、いつの間にか、あまり参加しなくなってゆきました。

なぜでしょうか。それは、「当事者」と言われる人たちにも
階級が歴然とあり、グループ化もされるからです。

私がそれを最初に感じたのは、
関東の精神病院に入院している時でした。
私は自宅で暴れて、救急車で運ばれて、
独房のような病室で二日間、過ごしました。

そして、観察室と言われる、個室で数日を過ごしました。
病状はとても悪かったようです(当時のことはあまりよく覚えていません)。
観察室はナースステーションと繋がっていたので、
他(一般病棟)の入院患者さんにもよく見られていたのでしょうか。

それが直接的な原因の一つかはわからないのですが、
とにかく私はなかなか入院患者の友達ができませんでした。
相手にされなかったのですね。男女の患者さん同士で付き合っている方々も
割といました。結婚しそうなほど仲良しだった方もいました。

きれいな(入院患者の)女性も大勢いました。
その女性たちにも全く相手にされませんでした。
彼女たちは、見た目が良かったり、入院する前は
仕事をしっかりとしていそうな男性患者と仲良くしていたようですね。

私は気持ちの小さな人間でしたので、そのグループに入りたいと
思っていたのですが、けっきょく最後まで相手にはされませんでした。
久しぶり(10年ぶり)に出た社会がそうでしたので、
私にとって入院生活はなかなか楽しいものにはなりませんでした。

少し話が長くなりましたが、私は現在でもそのような社会に生きています。
そう思っているのですね。見た目や仕事(収入)で人が判断される
社会に生きているのだと思います。

日本はかなり強くそうだと思っていますし、
アメリカやイギリス、フランスやブラジル、韓国やサウジアラビアも
やっぱり、そうなのかなと捉えています。ここで話を元に戻しますが、
私はここ一年近く、(ひきこもり)当事者会に参加していません。

以前は楽しく参加していたと思うのですが、もうそうではないのですね。
”あくまで”私にとってはなのですね。「きれい組」と「そうではない組」に
分かれている気がしてならないのですね。

もちろん、私は「そうではない組」に入ることになります。
ここが私の根本的な精神的な弱さだと思いますが、
昔からそうだったように、やっぱり「きれい組」に入りたいのでしょうか。

少なくとも、今の今は違います。かと言って「そうではない組」の
中心人物になりたいとは思いません。「当事者」には
色々な方々がいます。様々な障がいが関わってくるので、
皆が純粋とはいかないのですね。当然ですよね。

私は「それ」が苦手なのです。そんなことなら関わりたくないと
考えてしまうわけですね。これも私の根本的な弱さです。
今このブログをみて、優越感を感じている方もいるかと思います。
それは人間の業なので、批判はしません。

私もこんなブログ記事を書いているわけですから、文句は言えません。
ただ、私はどうしてもそのような「当事者会」に
参加する気持ちになれないのですね。
当事者でもいろいろな方々がいます。ハンサムな方、仕事ができる方、
自分自身の力で生活している方、恋人のいる方、本当に様々なのですね。

私はこれは「カラフル」であり、面白さだと捉え続けてきました。
ですが、今現在は少し変わってきているのですね。
「当事者」が「当事者」を見下す空気が生まれていると思っているのですね。
(ここで大切な事があります。私自身もその「見下す」うちの一人なのですね。
これが嫌で嫌でたまらないのですが…。)

私も今回、病状を大きく壊してしまい、色々なことをSNSに書きました。
私を頭のおかしなやつだと思った方も大勢いるでしょう。
ですが、地道な服薬のおかげで、ここまで病状を治してきました。

今、私が当事者会に行けば、何かしら「同情的」「憐れみ的」な
見られ方をするかもしれませんね。それは仕方がないことですが、
わざわざ、しんどい思いをすることがわかっていて、
その場に出かけることはしづらいのですね。

私なりの大変身勝手な考え方です。
当事者会は助け合ってゆくのだと思います。
私なりに——それを感じられなくなってきているのですね。
なので、どうしても参加する気持ちになれないのですね。

これは、私の被害妄想なのでしょうね。
参加してみたら、案外、楽というか、
普通に扱ってもらえるかもしれませんね。
どうかはわかりません。私はひとのやさしさを信じてゆきたいタイプのようです。
ですが、それは難しいものなのかもしれません。
それでは、人それぞれの持つ大切なものを
守れなくなってしまうかもしれませんね。

では、どうするか。大切なものを守るために、
厳しい自分になって生きてゆくしかないのでしょうか。
そんな社会ではつらいから、気持ち(緊張・ストレス)を緩めるために
「当事者会」があるのではと私は捉えているのですね。

私は現在、、自宅にひきこもっていますが、
ひきこもり支援施設には行きません。今は通うべきではないと思っています。
通うべき時はないのだとも思っています。

では、どうするのか。とりあえずの結論を出すのもまだ時間がかかりますね。
何もすることがなく、時々、こうしてSNSに投稿しています。
もうじき、光が差し込んでくるのか、あと数年かかるのか、
私にはまったくわかりません。ですが、これだけは言えます。
私は人生について、まだまったく諦める気はないのですね。

最後に——完全にエッセイ的な身勝手な文章ですね。
余りにも身勝手な事ばかり書いているので、
あきれ返った方も大勢いらっしゃるかもしれませんね。
なので、これも一人の「ひきこもり」当事者の意見だと
捉えていただけると幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。