「真のサーファー」と、「真のお遍路さん」

面白いインターネット記事を見ました。

「真のサーファーが浮気をしない9つの理由」↓

http://waval.net/new/11133

これ、「真のお遍路さん」も同じですよね。

高知県の太平洋(国道55号線沿い等)を歩いてますと、

サーファーの方を良く見ます。

姿格好・・・そしてやっていることは違いますが、

同じ『修行』をされていたのですね。

納得です。

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あと、身近におられるサーファーの方から聞いて

自分で感じたことですが、

「サーフィン=波乗り」ということで、

波に颯爽と乗るというのがサーフィンの醍醐味なんだそうですが、

そもそも「いい波」がないと、サーフィンというものは

成立しないようです。

「さ、今から東洋町でサーフィンや!」といっても

現地に行って波ば無ければ、いい波乗りは出来ません。

そんな意味において、サーフィンとは

自分だけではどうしようもない、大自然の力(他力本願)が

まず必要となって来るようです。

で、次に、他力本願のおかげで、いい波が来ていたとします。

次に「自力本願」(波乗りの実力)の発揮どころです。

が、あくまで「波乗り」ですので、

例えば、東から西へ波が流れていくのに、

自分だけは、西から東へと波乗りは出来ません・・・当たり前ですが(笑)。

また、大自然の力で、つい今まで東から西へ波が行ってたのに、

東から北に変わったりもします。

波の方向や早さも刻一刻と変わるようです。

人間の生き様・人生とは、なんやかんや言っても、

大海原という大自然に、サーフボード一つ持ってくりだす人間の如く、

人間の我儘勝手で方向性(流れ)が決められない世界の中に存在していて、

その大自然から与えられる刻一刻と変わる状況・流れに

臨機応変に合わせていき、後は自力本願でがんばっていく・・・

というのが、この我々地球上に生きる生物に与えられた

本来の正しい生き方なんだと感じました。

従って「自分は東から西へ波乗りしたいのに、

なんで西から東に波が流れてるねん!」と

怒ったり、憂えたり、悲しんだり、嘆くのは、

無意味であり無駄な行為であります。

人間の領域を超えたもの・ことはどうしようもありませんので、

朗らかに受け入れるしかないんだと思います。

つまり、「こだわり」を捨てるということなんだと思います。

諸行無常を受け入れるということでしょうか。

そうしますと、人生の多くの苦痛・苦悩から

心が開放され、心が軽くなるような気がいたします。

大自然から与えられるどうしようも(出来)ないことに対して、

どんなに悩み、苦しんでも

自分自身で変えることは出来ませんので、

そんなことからの執着から、自分の手で脱出するしかありません。

(それもまた、修行なんだと思います)

ちなみに、その大自然の意志(流れ)を自分の方向へ向けていく・・・

ではなく、自分の方向(あるべき姿)を大自然と同じ方向に持っていく方法が、

所謂『信仰』(神仏に自分の手(心)を合わせようとする行為)や

『修行』(それを通して自分の「我」をそぎ落とし、

大自然の意志に自分を近づける、無我への行為)

というものの、一つの存在意義のような気がいたします。

そのような大自然の意志に沿った生き方が出来て来ますと、

例えば自分が外にいる時は晴れていて、屋外に入ったら雨が降る・・・

ということが、意識をしなくても、自然と出来るようになって来るようです。