生きる意味 上田紀行より その2

*意味を生みだす自由

今私たちの社会に求められていること、それは
「ひとりひとりが自分自身の『生きる意味』の
創造者となる」ような社会づくりである

長い間、この日本社会で私たちは
『他者の欲求』を生きさせられてきた
他の人が欲しいものをあなたも欲しがりなさい

そして「他者の目」を過剰に意識させられてきた
他の人が望むようにあなたもなりなさい
しかし、そうやって自分自身の「生きる意味」を
他者に譲り渡すことによって得られてきた
経済成長という利得は既に失われ、
私たちは深刻な「生きる意味の病」に陥っている

そこで彗星のごとく現れ出た「構造改革」は
私たちをがんじがらめの不毛な「生きる意味」から
解放する自由の使者のように登場した
しかし、それは一見自由に見えて
「生きる意味」においては私たちに全く自由を与えない

「高い報酬を与えられる」ということ
「高い数字を得る」ということが誰にとっても
究極の価値であるという目標が与えられ、
その目標を達成するための競争において
今まではいろいろな障壁があったので、
それを取り除きこれからは自由に
競争できるようにしましょうという社会は
果たして自由な社会であろうか

それは「競争の自由」であって決して
「生きる意味の自由」ではない
それどころか、私たちの「生きる意味」は
これまでよりもいっそう
「数字」に縛り付けられることになるのだ

私たちの抱えている1番の問題、
それは私たちが
「生きる意味の自由」を獲得していないということだ

私たちの「生きる意味」は誰かから与えられる
そしてその『生きる意味』に向かってなるたけ
効率的に生きなさいという社会

私がいようといまいと、私の「生きる意味」は
最初から決まっているように感じられてしまう社会
それは私たちの社会の意味のシステムと
私たちひとりひとりの意識が重なり合って
生まれている「生きる意味の病」なのである

そこからの脱出は私たちひとりひとりが
自分自身の生きる意味を
創造していける社会への変革である
「生きる意味を創造するものとしての人間」
という人間像こそが
私たちを解放へと導くものなのである

<梅の花が咲きました>