「みわ」という言葉・意味についての考察

2月1日(日)。

朝から奈良県桜井市の三輪大社(大神神社)へ 

「一日参り」に行ってきました。

地元八尾の氏神様参拝も含め今日でこの「一日参り」は

おかげさまで丸6年となりました。

言葉(理屈)ではなかなか説明し切れませんが、

この「一日参り」により、

自分の心身(のホコリ・雑念・罪というたぐいのもの)が

祓い清められ続け、

そして「四国遍路修行(今後は先達修行)」により自分自身の精神が、

更に清く正しく美しく・・・

そして強くなって上下に高く深くなって行くという、確実な手応えがあり・・・

ですので、病みつき状態になって止められませ〜んっ(笑)♪

・・・今まで、自宅から外環状線(国道170号線)を南下し、

南阪奈道路(高速道路)を通ってゆけば

早く着くと思い込んでいました。

ところが、あることがきっかけで、

時間帯によっては下の道を通って行った方が早い!

ということに気づきました☆

これは6年で初めて得た鮮烈な気づきでした。

その下の道の詳細の行き方は割愛させて頂きますが(笑)、

八尾市から桜井市まで、かなりいいかんじで

一直線上に向かう幹線道路が有り、

その殆どが、車がそんなに混まないんです。

しかも、今日のような土日の午前中を中心に、

一日参りしようとする車がどっと押し寄せて

三輪大社へと向かう周辺道路が渋滞しまくるのですが、

南から三輪大社へ入る右折レーンは、とにかく渋滞の嵐!なのですが、

今日見つけたルートは、北から南下し、

左折して三輪さんに入るルートなので、

めちゃくちゃすんなりと三輪さんの駐車場に入ることが出来ました。

この6年間・・・

どうしてこのような、高速代がかからず、

しかも、高速(南阪奈道路)経由よりも10キロ程短くて、

左折でスイスイ入れるコースを思いつかなかったのか・・・(ー0ー;凹)

きっと、この他のことでも、

「チョ〜効率化している、完璧!」って思い込んでいることが

実はめっちゃ非効率的で余計なコストや時間が

かかりまくっているかも知れない・・・とかなり恐ろしくなりました(^^;)。

改めて、身辺をもう一度チェックし直したいと真剣に思いました!

ま、とにかく、6年間試行錯誤した末の・経験がものを言う、

新ルート発見!で朝から快適ドライブを

マンキツさせて頂きました(^0^)☆

これからも更なる新ルートの開拓に勤しみたいと思います(笑)。

さすが日曜日だけ・・・しかも節分直前だけあり、

結構な参拝客にまみれてご祈祷をして頂き、

そさくさと八尾に帰ってゆきました。

その車中でふっ・・・と

「三輪大社はまた『大神神社』と書いて「おおみわじんじゃ」と言う。

『神』という漢字を『みわ』と読んでいる。

こんな読み方なんて、学校で勉強せぇへんかったけど、なんでやろ?」

・・・今の今まで何となく「おおみわじんじゃ」と言っていたことに

素朴な疑問が湧いて参りました。

かなりの時間、考えていました。「なんでなんやろ?」って。。。

ここからがまた、よしこちゃんの勝手な推測が始まるのですが(笑)、

古事記や日本書記にも出てくる、

所謂「日本最古の神社」がこの「大神神社」・・・つまり

「神様のドン・元祖」なので『神』の上に『大』がついて

「大神」と書くのかなぁ・・・と(笑)。

それから、漢字が大陸から入って来る前から

この三輪山におられる神様のことを「みわ」と地元の方々が呼んでいたので、

漢字が入って来た時に「大神」と書いて

「おおみわ」と読むようにされたのかな・・・と。

で、「みわ」という『大和言葉(日本古来の言葉)』なのですが、

まず「み」は・・・

①御という敬意を表する言葉

②次に、身・実など、実態(姿・形)があるものを示す言葉

③そして「三」という数字を表す言葉

三輪さんの近くには大和三山(天香久山・畝傍山・耳成山)があります。

これも3つ・・・古代ミステリーですよね(^0^)♪

(三輪さんのマークも、木が3本折り重なっているものです。

木=気です。何らかの気(気持ち)が、3つ重なって一緒になっている状態を

表現しているのかも知れませんね。

果たしてその「3つ」とは何なんでしょうか。。。謎、、、ナゾナゾです状態です)

次に「わ」は、

輪・和というたぐいのものなのではないでしょうか?

二文字で表現すると「調和」というものかと思います。

以上を踏まえ、更に勝手な推測を続けますと、

古代日本人(我々の祖先)は、

物事が調和し、完全なる状態(平安)になるためには

何らかの3つの「もの・こと」が敬意を評しあい(存在を認め合い、支え合い)

調和した状態が『和』であって、

そのような国体(国柄)を目指したいと切に願い、

今の日本国家の元となる、政治組織の名前を「大和(やまと)」と

名づけたのではないでしょうか?そんな風に私は感じました。

(国家名の命名は、生まれた赤ちゃんに親が名前をつけるが如く、

血の通った愛や念、想いや願いがこもった名前になると思われます)

それが本当かどうかは、あくまで私の推測ですが、

「おおみわ」という名前一つからしても、

私たち日本人の大切にするもの・・・文化や精神性が観えて来て、

また改めて、脈々つ続く日本の国家のそして民族の素晴らしさを

静かにそして深く感じることが出来ます。

そんな我々日本民族はこれからも

地域社会、そして国際社会の「和」というものを

広げて参りたいと思いますし、

広げなければ、世界はとんでもないことになって・・・

逝くと感じます。(もう既にやばいです。。。?)