軍師の晩年

日 時 平成27年2月9日(月)
場 所 兵庫県民会館
主 催 兵庫芸術文化協会
 昨年の大河ドラマの主人公・黒田官兵衛の晩年について解説を
していただきました。
 関ケ原の合戦の前年に官兵衛は領国の中津に戻っていました。
 そして関ケ原が始まりますと9000の兵を率いて中津を出陣し、まず
石垣原で大友義統を破ると、小倉城を落城させ久留米城・立花城を
開城させましたが関ケ原が1日で終わったことで、ほどなく中津城に凱旋いたします。

嫡男の長政が家康から筑前に52万石を賜り、その年の年末に
入部してその地を福岡と改称して築城を始めます。
 また翌年には福岡城下に教会堂も建てました。
 そしてその翌年には大阪に上り、家康に謁見したり高台院を
見舞うなどして一旦筑前に戻るも、その年の夏には再び上洛し
湯治のため有馬温泉で越年いたします。
 その後伏見に戻るが病状が悪化し、長政も病気見舞のため
上洛しましたがついに没しました。(1604年3月:享年59才)