歩きお遍路にチャレンジされようと
思っておられる方とお話ししておりますと、
「歩きお遍路って『孤独で過酷』なのではないでしょうか?
それが不安です。。。」とおっしゃってはりました。
私は、その方に対して、以下のお返事をさせて頂きました。
こちらのメールも、問題ないかと思われますので、
公開したくなりました(笑)。
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確かにそうかとも思います。
だけど、『苦難福門』(苦難は幸福に至る狭き門)ですよ(^^)。
苦難が多い程、福門も多いということです。
それが修行(倫理実践)というものなのではないでしょうか?
さらに、四国遍路では「同行二人」という概念があり、
目に観えないだけで、実際は、
いつも『お大師さん』と一緒に歩いているということで、
ひとりで歩いている訳ではありません。
そして、お遍路さん仲間、そして遍路道沿いの方々が
気軽に声をかけて来てくださいます。
物事何でも捉え方と言いますか、『プラス思考』に考えますと、
見た目は一人で歩いている訳ですが、
実際は、いろんな人との出合いがあったり、
そして私たちのご先祖様などと一緒に歩き、
(先祖供養も兼ねて参ります)全然寂しくありませんよ^^♪
また一方で、お遍路さんは・・・
①自分探し
(自分とは何か?何をするために生きていて、何を成すべきか?見つける)
②追善供養(苦行を通して、過去の自分の罪を消し、徳を積む)
③先祖供養(自分の苦行を通して、親先祖の罪を消す)
以上3つの効用があると言われています。
自分の心がお遍路に向くということは、自分だけでなく、
ご先祖さまもそれを望んでいるということなんだと思います。
一家が全員、お遍路に行き、消罪&徳積みをするのではなく、
一家に一人が行けば、一家全員にその功徳が及ぼされるようです。
結婚や子どもを授かることなど・・・人間の力ではどうしようもない
あらゆる『縁』というものは、
カミサマホトケサマ、そしてご先祖様
(=見えない世界)を味方につける必要があり、
(つまり、見えない世界の意志と自分の意志を『合一させる』ということです)
その為の方法の一つとして、このお遍路行というものが1200年の間、
この国で脈々と継承されております。
お遍路に対して、怖いと思えば、怖くなり、
楽しみ!と思えば、例え怖いことがあっても、全て楽しい!ですよ。
これぞ「信成万事」(信ずれば成り、憂えれば崩れる)です(笑)。
私の場合、人生における使命役割りは「行者」のようですので、
(つまり、荒行を通して得たことを、大衆に伝え、大衆の人生をよくさせる)
それで、何回もお参りしているそうです(^^;笑)
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・・・ということですので、
これから歩きお遍路さんにチャレンジされたい方、
どうぞ安心して(お大師さんに“オマカセ”して)
お参りをされてくださいね(%笑う女%)(%晴れ%)