よしこちゃん、一言つぶやき日記 その4

歩きお遍路にチャレンジされようと

思っておられる方とお話ししておりますと、

「歩きお遍路って『孤独で過酷』なのではないでしょうか?

それが不安です。。。」とおっしゃってはりました。

私は、その方に対して、以下のお返事をさせて頂きました。

こちらのメールも、問題ないかと思われますので、

公開したくなりました(笑)。

—————-

確かにそうかとも思います。

だけど、『苦難福門』(苦難は幸福に至る狭き門)ですよ(^^)。

苦難が多い程、福門も多いということです。

それが修行(倫理実践)というものなのではないでしょうか?

さらに、四国遍路では「同行二人」という概念があり、

目に観えないだけで、実際は、

いつも『お大師さん』と一緒に歩いているということで、

ひとりで歩いている訳ではありません。

そして、お遍路さん仲間、そして遍路道沿いの方々が

気軽に声をかけて来てくださいます。

物事何でも捉え方と言いますか、『プラス思考』に考えますと、

見た目は一人で歩いている訳ですが、

実際は、いろんな人との出合いがあったり、

そして私たちのご先祖様などと一緒に歩き、

(先祖供養も兼ねて参ります)全然寂しくありませんよ^^♪

また一方で、お遍路さんは・・・

①自分探し

(自分とは何か?何をするために生きていて、何を成すべきか?見つける)

②追善供養(苦行を通して、過去の自分の罪を消し、徳を積む)

③先祖供養(自分の苦行を通して、親先祖の罪を消す)

以上3つの効用があると言われています。

自分の心がお遍路に向くということは、自分だけでなく、

ご先祖さまもそれを望んでいるということなんだと思います。

一家が全員、お遍路に行き、消罪&徳積みをするのではなく、

一家に一人が行けば、一家全員にその功徳が及ぼされるようです。

結婚や子どもを授かることなど・・・人間の力ではどうしようもない

あらゆる『縁』というものは、

カミサマホトケサマ、そしてご先祖様

(=見えない世界)を味方につける必要があり、

(つまり、見えない世界の意志と自分の意志を『合一させる』ということです)

その為の方法の一つとして、このお遍路行というものが1200年の間、

この国で脈々と継承されております。

お遍路に対して、怖いと思えば、怖くなり、

楽しみ!と思えば、例え怖いことがあっても、全て楽しい!ですよ。

これぞ「信成万事」(信ずれば成り、憂えれば崩れる)です(笑)。

私の場合、人生における使命役割りは「行者」のようですので、

(つまり、荒行を通して得たことを、大衆に伝え、大衆の人生をよくさせる)

それで、何回もお参りしているそうです(^^;笑)

—————–

・・・ということですので、

これから歩きお遍路さんにチャレンジされたい方、

どうぞ安心して(お大師さんに“オマカセ”して)

お参りをされてくださいね(%笑う女%)(%晴れ%)