日 時 平成27年2月18日(木)
場 所 宝塚東公民館
主 催 宝塚文化財ガイドソサエティ
女帝は江戸時代の2名(明正・後桜町天皇)を除いて古代に
集中しています。(八代六人:写真は推古天皇陵)
この背景には皇位継承者が若年である、継承候補者が複数
で権力争いが危惧される、継承者の死去などが上げられます。
さて日本最初の女帝は推古天皇で、彼女は崇峻天皇が急死
(蘇我氏による殺害)を受けて即位したものですが、元々敏達
天皇の皇后でしたので、政治経験があり厩戸皇子(聖徳太子)を摂政とすることで職責をはたしました。
その次の女帝は皇極(重祚して斉明)天皇で、やはり舒明天皇の皇后であったことで無難にこなされましたが、中大兄皇子の乙巳の変(大化改新)により歴史上初の生前譲位されました。
その後は天智天皇の皇女でかつ天武天皇の皇后であった持統天皇で、息子の草壁皇子が存在していましたが病弱のため孫の文武天皇へ引き継ぐために中継ぎとして即位されました。
そして元明天皇(文武天皇の母、草壁皇子の妃)が、ついで元正天皇(文武天皇の姉)がやはり聖武天皇への中継ぎとして即位しましたが、この両人は元皇后ではありませんでした。
最後は孝謙(重祚して称徳)天皇ですが、彼女は嫡系主義によるもので、聖武天皇に男子が居なかったために立太子を経て即位したもので、なるべくしてなった女帝です。
(現行の皇室典範には、皇位は男系男子が継承する・・・とあり、女帝は否定されています。)