街場の教育論 内田樹より その1

「学び」というのは自分に理解できない
『高み』にいる人に呼び寄せられて、
その人がしている「ゲーム」に巻き込まれる
というかたちで進行します。

この巻き込まれ(involvement)成就するためには
自分の手持ちの価値判断の「ものさし」では
その価値を考量できないものがあるということを
認めなければなりません

自分の「ものさし」を後生大事に抱え込んでいる限り、
自分の限界を超えることはできない
知識は増えるかもしれないし、
技術も身につくかもしれない、
資格を取れるかもしれない
けれども自分のいじましい「枠組み」の中に
そういうものをいくら詰め込んでも、鳥瞰的視座に
「テイクオフ」(take−off 離陸)することはできません

それは「領地」を水平方向に拡大しているだけです
「学び」とは「離陸すること」です
それまで自分を「私はこんな人間だ。
こんなことができて、こんなことができない」というふうに
規定していた「決め付け」の枠組みを
上方に離脱することです

自分を超えた視座から自分を見下ろし、
自分について語ることです。
自分自身の無知や無能を言い表す、
それまで知らなかった言語を習得することです