日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか 内山節 より

その2

近代に入って国民国家が形成され、
歴史は乗り越えられていくもの、
その意味で発達していくものという感覚が生まれたとき、
現実には「歴史の発達」から取り残され、
むしろそれまでの生活を破壊された
といった方がよい多くの人々がいた。

たとえば職人としての仕事を失って
その日暮らしの労働者になっていった人々や、
農地から追い出されていく人々、
さらには植民地の形成によってそれまでの暮らしを
破壊されたアジアやアフリカの人々である。
その人たちが直面していたのは
「崩壊していく歴史」でしかなかった

実際には、歴史がそのすべてにおいて進歩、
発達していくことなどありえない。
何かの進歩は、必ず別の何かの後退を
招くと考えた方が妥当である

今日の私たちは「環境問題」をとおして
そのことを学んだように思う。
自然環境という視点から見れば
歴史は『後退の歴史』であったことが
誰の目にも明らかになったからである

本当なら近代形成期にそのことに気づいてもよかった。
もちろん「環境」という視点についていえば、
そのことは近代形成期にはまだほとんど人々の
念頭にはなかったのだから、
ここでは問題にしないでおこう。

だがそれまでの労働と暮らしを
崩壊させられた人々の世界では、
ある面での歴史の発達が、
ある面での歴史の後退、崩壊をもたらすということは、
目の前の現実として提起されていたはずなのである