昔はよかったと言うけれど 大倉幸宏より その7

1913年10月10日読売新聞より:
増田義一氏の「模範的少女」の話は
修身訓としてまことに面白い話であったが、
少女たちの耳には何らの印象も与えないで、
むしろ不快を感じさせたように思われる。

今の少女というものは慈愛あれ、親切であれ
、熱心であれ、用意あれというようなこと聞くのを
はなはだしく苦痛に思い、侮辱された様に思っている。
せっかくの訓話も馬の耳に念仏で遂に無意味に
終わったのを返す返す残念に思う。

こんな話はもっと年の少ない幼女、あるいは
その母なる人に語って聞かせる方が有益であろう。
孝行を筋にした哀れな境遇の少女物語は
軽佻浮薄に流れている近頃の少女の心に
一の刺激を与える好い着想のようではあるが、
事実はこれに反し少女のほとんどすべては
孝行の話など大嫌いらしく少しも聴いていない。
従って面白いとも思わぬらしい。
今の少女はただかわいそうな人情の絡んだ話ならば
喜んで泣きながら傾聴する。
私は実業之日本社の新設がいくばくも
神経過敏な少女の心に通じなかったことを遺憾に思う。
それにつけても学校と家庭は大いに反省しなければならぬ。
今の女子は14,5歳にしてすでに堕落しているのが多い

1919年6月22日読売新聞より:
徳育論は教育界内に止まり、一般社会では
親は子どもに対して少々の不徳をしても
富裕の生活になることを望み、
目的を果たせば成功者としてほめたたえる。
試験ごとに生じるカンニング事件もあり、
民衆の道徳観念の低きを嘆く。
学校における修身教育は効果は乏しい。
道徳の向上はまず社会の実際より改良すべきだ。

<ムスカリが咲きました>