フリーのカメラマン(10年)、カメラの機材のレンタル会社(10年)をへて大学映像学科の講師もつとめた。溝口健二監督、若尾文子、市川雷蔵などの監督、スターなどとも懇意にしてもらい、.カメラを通じた楽しい半生だった。
その後、次のような談話が進みました。
昔は今のように就職先のことをあまり調べないで就職した/昔は会社に自分を合わせていく時代だった/就職は時代の社会経済状況によって異なる/70年代に総合職がなかった女性は2〜3年で退職した/花嫁修業のように大学に行く女性を揶揄した「女子大生亡国論」が流行った/就職難の時代に腰掛け的に就職した千里がライフワークになった
高度成長期が「駆け出し」だった3人の仕事は、「大企業総務型」「中企業営業型」「現場職人型」と、それぞれに異なったようです。職場の環境はハードでありながら、人間味にあふれる「古き良き時代」だったこと、最初は苦しくても、そのうち慣れたり、自分の得意な分野を見つけられるという点では、共通していたことを教えられる談話室になりました。
次回の予定は次のとおり。
●と き:5月9日(土)10〜12時(5月は第2土曜日です)
●ところ:2階 集会場
●テーマ:「私の時間の使い方」(話題提供:津久井惠理子さん)
「時は金なり」は、時間はお金と同様に貴重だから、浪費してはいけないという意味。時間を効率的に使いたいけど、ボーッと過ごしていたい時もあります。自由な時間がほしいけど、逆にたっぷりあれば使い方がむずかしいことも・・。あなたは時間をどう使っていますか? 時間をテーマに語りましょう。土曜の朝は、コラボへGO!
(やまもと)
4月4日(土)、コラボ談話室「私が駆け出しの頃」を開催しました(参加者14名)。
「男の人は、現役時代にどんな風に仕事をしていたの?」との女性陣の疑問・要望に応える形で企画したものです。話題提供者は、松本勲さん、山本武彦さん、高橋政治さんの3名。新年度がスタートする月でもあり、若い世代にも聞いてほしいとの願いも込めました。3人の話題は次のとおり
≪松本勲さん≫
60年代半ばに大学卒業、社員1万人規模の企業に就職。新人研修のため夜行列車で宮崎県延岡市へ。「まず現場を知る」ための長期展望に立った配属。夜勤明けに海水浴に行くなど楽しんだ。40代でインドネシアに赴任。「郷に入れば郷に従え」の生活をしながら、人材育成で貢献できたのでは。50代で小企業の株式上場のシステム作りを支援。約40年間の仕事を通じて教えられたことは「先入観をもって臨まないこと」「相手の話をいかによく聞くか」「楽観的に考えてやれば何とかなる」。現在も週3日、就労支援に勤務。
≪山本武彦さん≫
60年代後半に大学卒業、近江商人の風土を残す中規模の企業に就職。滋賀県の寺での新人研修が厳しく、脱走した者もいた。営業の仕事では、関西弁が聞き取れない、商品の品番が覚えられない、.車の事故などで苦労した。売上至上主義の中、手形を書き換えられる、値切られるなど大変だったが、3年で慣れた。ボーナスは社内預金されたが、貯金が増えるなど、中小企業の良さもあった。
≪高橋政治さん≫
50年代の初めに高校卒業、京都の電気メーカーに就職。映画全盛期のD映画会社の撮影所に転職。カメラの整備等で忙しく、残業代が本給の2〜3倍の時もあった。映画スター〜裏方まで、全員が家族のように生活しており、長谷川一夫とも一緒に風呂に入ったこともある。その後T映画会社に転職。東京オリンピック、高校野球50年記念の映画撮影の助手を務めた。