歩幅な大小はあっても、いきなり10歩とかは歩けない。
冬からいきなり夏にはならない。
冬の一歩先は春。春の一歩先が夏。
それが自然の摂理であり、自然の一部である人間の摂理。
しかしながら人間には『欲』という、人間だけが持つエネルギー(気)がある。
それを自分のためだけに使おうとすると、
それが『悪』と変わり、上記のような真理真実に対して
疎ましくさえも思えて来る。
正しい努力や多くの努力を重ねていないにも拘わらず、
真冬をすぐに真夏に変えたいというような不自然な願望を抱き、
嘆き悲しんだり、不平不満を外に出して、
あらゆる苦難を自らの手で招いている。
全ては己自身(もしくはその人自身が属している家系や何等かの組織)の
『わがまま』から始まっているようです。
従って『わがまま』を修正するために、
正しい修正(実践)が必要で、わがままが修正される程、
苦難の量が減ってゆき…といいますか、
よりレベルの高い・よりよい人間になるための
試練(苦難)に変わってゆくようです。
人間は生きている限り、苦難の連続・修業の連続のようであり、
それが人生の本質の一部ようです。
またその人にやって来る苦難を観ますと、
その人の『心〜人となり〜』が観えてきます。
人間の心は目に見えませんが、
その心が引き寄せている苦難(その人の周りで起こっている現象)や
周りにいる人たちを静かに観察いたしますと、
その人の心・その人の(真・魂の)レベルが観えてきます。