「六神通力」について・・・雑感。

先日、所謂「スピチュアル系」の知人の方の

ステキなメッセージをゲットいたしました(%笑う女%)(%王冠%)

以下がそのざっくりとした内容です↓

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「六神通力」は人間ならば誰しも持っています。

「六神通力」の一つである『予知能力』も

本当は皆が持っている能力で、

例えばネズミが火災を前もって予知し、

その家から出てゆく。

また、地震や津波を予知し、

動物達が山の方に向かうのも、

本来、神の子なる生命だからです。

…人間も同じです。

生命(六神通力)が神だからです。

私達はタマシイつまり“霊”なのです。

霊が“真の自分”なのです。

仏教でも「タマシイ(霊魂)は滅亡しない」と説いています。

では、予知が出来るなら前もって決まっているからでしょうか?

予知出来るということは、

「運命は定まっていると」いうことになりますね。

では既に決まっている運命なれば、

私達の人生は予め決まった路線(人生)を歩んでいるのか?

と言うことになります…。

前もって定まっているから前もって

予知出来ることになる。ある意味そうなのです。

この世は霊界(あの世)の“写し世”ですから…。

これは『“霊主体従”の真理』です。

では定まりし人生は変えられないのか…?

そんなはずはありません!

この世から霊界を変えることが出来ます。

各自に関わりし霊界を清め(徳積み)、

我がタマシイ(神の子としての生き方)に蘇る(環る)ならば…

つまり人心(人間欲・浅知恵)無く、

神の子たる親神(愛善)に立ち返るならば、

六神通力(神)は蘇り、

真の楽(ラク)に楽しい人生になってゆきます。

<以上終わり>
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・・・ゴールデンウィーク最終日の今日・6日。

普段から何となく気になっていた

この「六神通力」について

あれこれと調べ、まとめて、理解を深めようという

動きをしていました。

あっちこっちのHPサイトから琴線にふれた

すばらしい文章に、自分が思い考えた文章を足して、

「六神通力」についてまとめてみました。

ご参考までにどうぞ(^^)♪

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■修行によって身に付く超能力(六つの神通力)とは

正しい・正統な仏教の修行によって煩悩を捨断し、

心をどんどん透明(ありのまま・素直な状態)にしていくと、

『本当の自分〜真我。本来持っている神秘的な力〜』が発現する。

それが、六つの神通力(六神通)である。

これらを身につけることにより修行者は、

大宇宙(大自然、神仏に例えられる絶対的な世界)の構造をはじめ、

過去から未来に至るまでの時の流れ、

そしてこの世界を支配するカルマの法則のすべてを理解し、

真の自由を得、自在に生きることが出来るようになる。

物質的な豊かさ(見える幸福)だけに囚われたり、

また他者犠牲の上に成り立っている幸福は、

まやかし・戯言であり、

この世における『罠』であり、『罪』であり、

諸行無常感漂う、有限の儚き幻想(幸福)である。

真の幸福は、それぞれの今において、

必要な物質や境遇が与えられており、

「これがよい」である。

全てその時々において、過不足なく、

その人に必要なものが与えられている。

これを『要物必与(ようぶつひつよ)』と言う。

その人自身の今の段階(心の有り様)また、

その人が属するコミュニティ(家系や会社など)の

罪と徳の段階(レベル)によって、

与えられるもの(物質や境遇)が変わってくる。

■六神通力

①天眼通力:いわゆる“千里眼”。遠くのものが見える能力。

②天耳通力:いわゆる“地獄耳”。遠くの音が聞こえる能力。

③他心通力:いわゆる“読心術”。他人の心の中が判る能力。

④宿命通力:リーディングと予知能力が合わさったような力で、

 自分や他人の過去・現在・未来が分かる能力。

⑤神足通力:“テレポーション”。どこへでも自由に行ける能力。

 (身体はある場所に留まった状態で、意識だけをどこへでも

 また過去未来へと瞬時に飛ばせる能力だと思われます)

⑥漏尽(ろじん)通力:煩悩が消え、何の囚われもなく、日々是好日に生きる能力。

 また、実は高度な悟りや超能力を持ちながら、

 それを世間に漏らさず、平々凡々に生きることが出来る能力。

■この神通力にも「正」と「邪」が存在する

まず、正神界(真に正しい世界)の天眼通力というのは、

かすかに、イメージの中でわかるというものであり、

必要な時、必要なものだけが見えるというものである。

常時見えているというものではない。

これに対して邪神界(正しい世界にみせかけている邪の世界)

の天眼通力は常時見えている。

毎日霊眼で見える、しかもカラーではっきり見えるというのが特徴だ。

例えば、いくら天眼が見えて

「あなたは一週間後、仕事で大失敗しますよ」と言って、

「それでは、どうしたらいいですか?」と聞かれても、

「さあ、それは分かりません。よく注意してください」と答えるだけでは、

何のために天眼が開けたのか分からない。

仕事の失敗を予言して、それを聞いた本人がそれを苦にし、

仕事が出来なくなるというのでは意味がない。

相手の気持ちが分かり、相手の運命が分かり、

天眼が見え、天耳が聞こえたとしても、

その人の幸せに繋がらなければ、

何の意味も無いということである。

そのような視点から考えると、

正神界から来る天眼通力が必要最少限のものだという

その理由がわかってくる。

訳もなく常時、いろいろなものが見えていると、

それに囚われて「何故見えたんだろう?」と考え、

日常生活が疎かになる。

従って、『真の神様』はむやみやたらに

見せるようなことはしない。

必要な時、必要な分だけ見せて下さるのである。

また、神様は人間の努力と精進を重んずるので、

天眼通力が本人の精進努力に障るときは、

お見せにならないのが本当だ。

どんなに美しい景色を見ても、

絶えず地縛霊の気味悪い顔が見えるとなると、

決して幸せな人生であるとはいえないからだ。

・・・むやみやたらと人が見えない

“気分が悪くなるもの”が見えてしまう人は、

低俗な動物霊(所謂きつねやたぬき等)が憑いているようです(?)

憑いている人に「自分は神だ」と勘違いさせて

(つまり神に化け、悪戯をしている)喜んでいるだけであります。

真の神ではなく、低俗な動物霊と繋がっているので、

その人が口を開いて、迷える他者に

いろいろとアドバイスをしたとしても、当然のことながら

真の解決方法には至らなくて、相談者もその本人も

ドツボにハマッてしまいます。

邪心(自分自身の罪や家系の罪)が多く、且つ

動物的本能(人間で言う下部・下半身のエネルギーだけが強い)人程、

この動物霊に憑かれる可能性が上がるようでし、

引っかかって、騙されてしまう人も同様であります。

憑かれる人には、憑かれる人なりの理由がある訳です。

結局、よいものもわるいものも、

自分自身また自分の家系(=因果)が引き寄せているようです。

従って、所謂「悪霊」とか、災難とかから逃れたいと思うのであれば、

今生きている我々が正しい行い(修行)によって精進し、

レベルを上げてゆくしかないのです。

あの世にいるご先祖様には身体がないので修行は出来ず、

その人や家系のレベルアップ(消罪・徳積み)は

身体のある生きている人間(子孫)しか出来ないようです。

あと、生まれ持って与えられた人間の

エネルギー(気の)バランスは、

上・中・下・・・全て同じにする・・・

つまり調和させる必要があろうかと思われます。

下部は・動物的本能・生命力・・・

動物の一員である人間が生きてゆくための

基本的な欲求・能力であります。

ここだけが強い人は、動物的になってゆきます。

上部は・神性の強い人のようです。

占い師は、このようなタイプの人が多く、

神とは繋がっているようですが、

精神世界に生きて、現実世界を蔑ろかにし、

頭の上に糸がついているように見え、

上に向かってフワフワと浮いている感じがし、

この虚実だらけの「娑婆の世界」で

したたかに賢く生きてゆけない傾向にあります。

そして、中部・人間性(愛)だけが強い人は、

平均的で、人間生活・関係も問題ないようですが、

自分自身とは何か?自分は何をすべきか?

自分自身のアイデンティティーや人生の構築が

欠けているように感じられ、常に迷い・悩みが消えず、

人生の大海原を浮遊している感じです。

なお、この上・中・下部の3つを7つに分けたものが

インド発祥の『チャクラ』という概念であります。

真の悟りとは、上・中・下(また7つのチャクラ)全てを

修行によって覚醒させることなんだと思います。

自身を覚醒させる最も手っ取り早い方法は、

自分に足らない「力」がある場所に行って、

その場の力を借りながら、荒行をするということです。

例えば、下部のエネルギー(力)が弱い人は、

下部のエネルギーが高まる、沖縄やバリなどの南の島で

ちょっと生活してもいいかも知れません。

また、上部のエネルギーが低い人には、

大峰山などの霊峰がおすすめです。

私がハマっております、『お四国』の場合、

遍路道1300キロの間に、

上中下全部が覚醒しやすい場所が存在しています。

四国自体、磁場が高い場所であります。

一見非合理的で理屈で説明し得ない

「お四国信仰」でありますが、

実は私たち人間では到底理解し得ない常識・・・

つまり「超常識」の世界が存在し、

その超常識は、お四国に行って、

真の修行をし続けている人間だけが

分かり得る境地であります。

煩悩に囚われた人間の思惟や時代を

超えた真理・・・真実があるからこそ、

幾多の存続の危機を乗り越えて、先人たちによって

守り抜かれた修行の道〜あるべき道〜なのであります(%笑う女%)(%王冠%)