日本人はなぜ考えようとしないのか —福島原発事故と日本文化—

新形信和より その9

こうして日本語では「原発は安全である」という
見立てられた思い込みは
神話と化した(あるいは言霊信仰と化した)
空気となって日本人を支配するのです

しかし、西洋化した日本人は、原子力発電は安全であると
論理的に対象化して考えているつもりでいます

ところが、事実はそうではなく、原子力の危険性の認識が
希薄なままで、原子力発電は安全であるという見立てによる
思い込みが空気となってそれに支配されているだけなのです

そのような錯覚を脱し、その落差をまず自覚することが
何よりも必要なことではないでしょうか

<金魚草が咲きました>