「意識(気)」のゆとりを持つ 〜少子化問題、雑感〜

先日、ある始発駅で電車に乗りました。

私は座席に座りながら本を読み始めました。

その後、5メートルくらい左側に、

赤ちゃんと幼児を連れたお母さんグループが座りました。

幼児の方がぐずついていたためか、

はたまたお母さん(女性)ならではの性格か・・・

ベビーカーが座席前を占領し、

数人が座れない状態になっていても

『おかまいなし状態』で、そこが“公共・みんなの場所”

であるという意識がなかったようで、

お母さん達は話しで盛り上ってました。

・・・現代においてはある種社会から

隔離・断絶されてしまった『イエ』という狭きコミュニティの中で

生きざるを得ない女性(主婦)の視野(意識)の狭さを嘆き、

また哀愁をと抱くと同時に、それだけ狭くさせている・・・

つまり世の中のお母さんたちを社会から隔離し、

肩身の狭い想いをさせ、子育てをの多くを押し付け、

自信を無くさせて、『子育て』という、

本来は最も崇高な人間的な働きを

されていることに誇りが持てなくさせてしまっている

社会の責任を改めて感じさせて頂くシーンでした。

そしてこんな時代に子育てをするお母さんたちの

ご苦労並びに素晴らしさを改めて感じました。

よいのかわるいのか・・・

とにかく今のお母さんたちは目の前の「宇宙人」?

である我が子を育てるのに必死であるようです。

しばらくして、電車が動き始めました。

するとベビーカーだけが動き出し、車内をスライドし始めました。

私は本を読んでいましたが、ベビーカーが動いた瞬間が観えました。

何となく無意識に、私の意識(気)がその人達(並びにその周辺)に

向いていたようです。

数メートル動いた時点・私の左前側に差し掛かった時、

自然に左手が伸び、向かって来たベビーカーの取手を掴みました。

話しに夢中になっていたお母さんは、

慌てて私に「すいません」と謝罪されました。

私は「いえいえ」と笑顔で言いました。

赤ちゃんを背中におんぶされながら、本当に申し訳なさそうに私に言われ、

私は「そんなに過度に肩身を狭くされなくていいのにな・・・

だって、未来を担う子供たちを育てておられるのですから」と

そのお母さんを可哀想に思い、そして切なくなりました。。。

傲慢で平気で公共の場所を占拠されるのは、

そもそも論で、子育て中の女性云々以前に、

人間として許せませんが、

世の中のお母さんたちを静かに日々観察しておりますと、

この世で最も尊い仕事である『人をつくり、育てる』という

偉業を成し遂げようとしている事実を日々意識されながら、

もっと胸を張って自信を持って、生きていって頂きたいなと

密かに願っております。

そしてそのような自信と希望抱くお母さんを

たくさん育むことの出来る社会をみんなで作らなければ、

今着々とドツボにハマり続けている

我が国の『少子(高齢)化問題』は根本的に解決しないと、

確信を得た出来事となりました。

日本政府並びに地方自治体の施策は日々

あれこれ成されておりますが、

出生率が過去最低を更新しています。

それらの施策の効果はゼロだとは思いませんが、

出生率を上げるという目的は達成出来ておりません。

従って現在の行政機関のあり方・やり方は

どちらかと言いますと、『間違っている』ことになります。

ここにも税金の無駄があり、

行政マンや議員達の機能(働き)が実を結んでおらず、

いつまで経っても現場のお母さん達の苦悩は

行政(政治)の力ではさほど解決せず、

結局自己努力と各種市民団体の実力に

委ねられているのが現状のようです。

ま、行政マンや議員達は、

出生率が上がっても下がっも給料は変わらず、

更に『言葉遊び』をしながら、有権者に対して

責任逃れするのは得意中の得意ですので

(善良な市民は騙せても、私は騙されません)、

出生率低下を誰も責任を取っていません。

・・・とにかく、今の社会には不足不満を持つ、

心にゆとりのない人間が多く、

子供や子育て中のお母さん等、所謂『社会的弱者』にまで、

意識を向けられる人が少ないようで、私は経済的貧困よりも、

心のゆとりなき、この『精神的貧困』こそが問題であろうと観ております。

自らの心にある精神的貧困を知り、

それを少しづつ修業により解消(消罪)してゆきますと、

「心身相関の原理」にて、精神的貧困だけでなく、

経済的貧困も消えてゆきます。

しかしながら、経済的貧困を解消したいと思い、

他者に施すのは、筋違いであり、

煩悩から発心した行は罪であり、

永遠に経済的貧困などから逃れられません。

真の徳積みとは、見返しを求めず、

ひたすら相手の幸福を願い実践してゆくものであります。

そのあたりを意識的、無意識に間違い、

いつまで経ってもその効果が出ない・・・

酷い場合は余計ドツボにはまる哀れな人間は多いです。

・・・一方で、私はこの少子化問題は、

経済的に成熟した社会並びに国家においては、

一つの自然現象(時代の流れ、時期)だとも観ております。

敢えて誤解を恐れずに申しますと、

日本人の人口が今後1億人を切ることが、

時代の(つまり地球並びに宇宙的に)自然な流れであり、

「これがよい」ということなんだと思います。

時代は(宇宙・大自然)は、拡充(拡大と充足、量と質、つまり陰陽)を

繰り返しているということです。

70年前までの戦災では多くの方が亡くなってしまいました。

その代わりに、亡くなってしまった方の『念(想い)』も抱え込み、

遺った方々ががんばって、高度経済成長が達成出来ました。

これが拡大の時代〜陽の時代〜でありました。

で、バブル&バブル崩壊「失われた20年」を境に、

これから少子高齢化が進み、我が国において戦争はありませんが、

自然と減ってゆく危機的時代に突入していきます。

これが陰の時代です。

人間にもバイオリズムがあるように、

国家にも時代にも、バイオリズムが存在するということです。

この少子化問題以外にも、

我が国では現在様々な国家的危機を内在しており、

これらの危機を、戦後を迎えた我々の祖先のように、

どのように克服してゆくのか?・・・

これからの時代を創造してゆく、

私たちの世代にそれが託されているのだという、

強い危機感、そして使命感を感じております。