最近、ホウボウの『会議』という名の、
2人以上が集い、
何らかの物事・議題をブラッシュアップしたり
問題解決を探る場に出て思うことがあります。
まず思うことは会議をするにあたり、
会議を開く方々(主催者)の『事前準備』が
足らない場合が意外に多いということです。
主催者の事前打ち合わせ等の準備が足らないので、
限られた時間の中で、事前に定められた議題を全部・・・
また深く明確に議論し切れない状態で終了したり、
無駄に時間延長してしまったりします。
ほんと、ただの時間泥棒・・・無駄に命の浪費を
促している罪な人たちです。
(当の本人たちはそんな罪の意識はなく、
「時間を守らない」という罪を作り続けています・・・南無阿弥陀仏。)
とにかく会議というものの善し悪しの殆ど(8〜9割)が
主催者の『準備』並びに『後始末』で決まります。
決して『会議中』ではありません。
従って、主催者がいくら会議中にバシッ☆と良い発言をしたとしても、
準備と後始末がお粗末であれば、
それは上辺だけの“見せかけ(虚実)”であり、
主催者の人間性や経営のレベル(その場限りの思いつき経営か、
理念・戦略&戦術を立てた上での経営かが)が透けて観得ます。
会議というものも「陰陽」であり、
「陰」が準備や後始末、「陽」が会議中かと思われます。
たくさんの人に見られ、その主催者を評価させる「陽」をよくする為には、
殆どの人に見られない「陰」である
準備や後始末をよくしなければなりません。
陰陽は表裏の関係にあり一体のものであり、
陰は全ての陽を生み出します。
更に残念なのが、
会議で発言する人間の意見が稚拙(間違い)だったり、
まとまりがなかったり、
責任感のない思いつき発言の場合が結構存在するということです。
だんだん観得て来たのですが、
例えば主催者が『思いつき』で設営していれば、
参加者も『思いつき』の発言が多くなります。
これは「鏡の法則」であり、
参加者からよい意見(智恵)を引き出せるかどうかは、
主催者の力量(能力や準備&後始末)にかかって来ます。
決して参加者の力量だけではありません。
・・・それに関連して、以前ある会議にて、
ある参加者がいかにも思考が浅い『思いつき』で、
私にあれこれやって下さいと言って来られたので(ある種の奇襲攻撃?)、
私は慌てて「怒り」という最も強靭なエネルギーを使いながら、
冷静沈着な『理詰め将棋』を仕掛け
(つまり参加者全員に納得・理解して頂ける論理)により、
丁重にお断りさせて頂きました。
私はそのような、自分よりもレベルの低い人間の思いつき(思惑)には
引っ掛からないし、利用されません。
日々、そうならないように自己鍛錬を重ねており・・・
日々の関わりの中でその人や会議をするメンバーの人間性
(器や価値観・思考パターン等)を常に観察し把握しておりますので、
おかげさまで瞬間的にかわせました。
私の場合、日々いろんな団体でいろんな役を頼まれますので、
いくら能力があって出来るからと、何でもかんでも受けてしまうと、
『許容範囲』を越えて自爆(シャットダウン)してしまい、
結局みなさんにご迷惑かかってしまいますので、
「この会はここまでしかやらない・この人とはここまでしか付き合わない」等と
きちっと『線引き』をしています。
健やかな心身を保ち、よりよい働きをし続けるためには、
嫌なことはしない・嫌な人(無意味な人)とは付き合わない・深く付き合わない・・・
という、取捨選択をし続ける術が、
この娑婆の世界においては、
自分を守り、自己コントロール(管理)する術であり、
そしてシンプル且つ賢く生き抜く方法かと思われます。
欲や感情に流され、「あれもこれも」と欲しまくったり、受け過ぎると、
結局何等かの『歪み』が心身に生じて、自滅してしまいます。
『己(の器)を知り、足るを知る』という生き方の出来ない・・・
煩悩という幻想に惑わされ、感情という当てなきものに振り回され・・・
永久に出来もしない虚像を追い掛ける哀れな人間は誠に多いです。
賢く生きる方法・・・そのポイントと致しましては、
足を引っ張られますので『敵は作らない』ことは必要のようです。
死んだ人間の魂(念)は、身体が無いので、
そんな大したものではありませんが、
生きている人間は「身体」を有しておりますので、
念のパワーが強烈で、
しかも実際刃物持って殺しに来たりしますので、
生きた人間に怨まれたりすると、
その念によってかなり苦しめられます。
とりわけ強烈な念は
『お金』と『性』から発する怨念なんだそうです。
次に強い感じがするのがお金&性にも関連いたしますが
『人間関係』のトラブルから発する怨念です。
怨念を持たれた人やその人間の子孫は、
その見えない念を踏まえ、反省・懺悔を経て修業を重ね、
そして消罪しない限りは、その怨念は消えず、
その人や子孫を苦しめ続け、最悪の場合は『絶家』します。
(絶家はこの娑婆の世界で最も重い罪のようですね)
絶家しますと、自分だけでなく先祖全員の御霊が
時も空間もないあの世の地獄道界隈で、永遠にさ迷ってしまいます。
また更に私は常に
『義(大義。大局的に観た正義。正しいこと)』というものを、
人生全ての基軸にするように意識をしておりますので、
その『義』に反する・ずれている人間の言動には、かなり敏感で、
娑婆の世界に存在するありとあらゆる
『陰陽の手段』を使って反撃し、潰しにかかります。
(ただし、逆恨みされないように&分からないように
慎重に慎重を重ね、『詰め将棋』をやります。
私の念と『天の意志』が合致している場合は、
わざわざ私が手をかけなくても、
その反撃や潰しがすんなり成功します)。
私は自分だけの『義(小義)』で、
自分だけがよくなろう・得しようなんて考えていません。
だから私は常に『大義』を持って正々堂々と、
会議、そして人生に挑んでおります。
そんな私の姿勢が受け入れられなければ、
私はその会議場や組織から潔く去るという覚悟が出来ています。
私は、「アイツはムカつくからアイツの意見は潰そう」とか、
誰かに評価されたいとかの名誉欲等の煩悩はなく、
それに関連する『こだわり(執着)』というものを持っておりません。
この『こだわり』というものが無いからこそ(すなおの境地)、
娑婆の世界の『ありのまま』を観得え、
その観得た状態から、正しい判断並びに言動を行うことが出来るので、
失敗というものがありません。
従って・・・
『今の私やその周りの人たちは“義”に叶った言動をしているのか?』
ということに、常にこだわっております。
そして義のベースにあるのは真実に基づいた愛であり、
『人生の幸福の追求』であります。
私は出来る限り、自らの人生の『あり方』を明確に把握した上で、
出来る限り軽やかでシンプルな心を持ち、
そして出来る限りたくさんのアタマ(将棋の駒や指し方・術。智恵の引き出し)を
持つように心がけ、日々修行を重ねております。
あと思うことは、
会議に参加するみなさんが「仲良し」なのは良いことなのですが、
愛ある労いや褒め言葉はたくさん発言されても、
愛ある反論・異論が少な過ぎる傾向にあります。
真の愛にも『義』を持ってでも成すべき言動が必要な時があり、
『義』無き愛の言動は、愛に見せかけた偽りの姿であり・・・
ただの耳障りの良い言葉であり、
結局そんな甘えた組織体制が、みんなを不幸にさせてしまいます。
きっと、仲間の輪を乱したくない、自分がしゃしゃり出るのは面倒くさい、
自分をよく見せたい・反撃&批判されたくない・嫌われたくないから
仲間には苦言や批判を出来ないんだと思われます。
真の仲間とは・真の友とは・・・ある種の『極論』ですが、
時には厳しい言動(怒りのエネルギー。エネルギーの中で最も強靭なエネルギー)
を持ってでも『義』を貫き通し、
相手や組織全体を正しい方向へと正すべきであり、
例え表面上が「怒り」なので「悪人」だと認識されてしまってでも、
その人やその組織の為に、
陰に陽に働く人間が必要なのではないでしょうか。
私もいよいよごく一部の方から『怖い人』と評されて来ましたが(笑)、
私を怖い人だと認識する人間の共通性は・・・
①自分の『化けの皮』を剥がされるのが怖い
(つまり、見た目と中身が不一致。素直じゃないということです)
②実力が無いクセにプライドや自尊心だけは高い
③意外と精神が繊細で、精神的に脆いので、そこを突かれたくないので隠したい。
以上3点の法則性が観得ましたので、
逆にそこ(弱点、脆い部分)を真っ直ぐ突いて差し上げますと、
負け犬の如くキャンキャンと可愛い声を出しながら、
草場の陰に逃げ隠れ、怖い、怖い・・・と私に近づいて来なくなり、
おかげさまで周りの人間関係がよりスッキリしました。
それをきっかけに、「分かる人間には分かるんや」と知って頂き、
少しでも見た目と中身を一致させるべく、すなおになって頂ければ、
真の幸福を得られる、ハイレベルな人生ステージが
用意されているんだと思います。
ほんと、見た目と中身が違う、虚実を演じる人間程、
哀れな“動物”はこの娑婆の世界には存在し得ません。南無阿弥陀仏。
・・・ま、とにかく、「相手を正しく知る」ということが
幸福な人生や円滑なコミュニケーション(人間関係)には
必要不可欠のようです。
ま、そんなズバズバ言う、コワ〜イよしこちゃんですが(笑)、
私よりもレベルの高い方々には
「よく言った!よくやった!」と褒め続けられていますので、
ここで引き下がる訳には参りません☆
レベルの低い人間の意識や意見に自分を合わせると、
堕落するだけであり、無意味どころか罪。
従って私は八方美人になる気はさらさらありません(笑)。
しかしながら、どんな方々であれ・・・
またどんなレベルの自分自身であれ・・・
基本的には『和』を以って貴しとなってゆくように、
これからも他者を知り、そして己を知るという、
「ありのまま」へと還ってゆくという、
修業を重ねてゆきたいです(%笑う女%)(%王冠%)