夏目漱石『こころ』をめぐって(3)

(%紫点%)前期講座(文学・文芸コース)の第9回講義の報告です。
・日時:6月11日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:夏目漱石『こころ』をめぐって(3)
・講師:浅田 隆先生(奈良大学名誉教授)
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*前回までの復習*
■夏目漱石『こころ』をめぐって(1)−慷慨(あらすじ)−(H26.11.6)
『こころ』の構成は、「先生と私」、「両親と私」および「先生と遺書」の3部からなっている。前半にあたる最初の二章では、主人公の「先生」は、大学を卒業しかけている青年の「私」という話者の目を通じて描かれている。
・「先生と私」…鎌倉の海で先生に出会ったときは、私は高校生であった。私は、彼に惹かれ、大学に入ってから、自宅にたびたび訪れるようになった。彼は奥さんと女中の三人でひっそりと暮らしていた。仲の良い夫婦に見えたが、何か寂しい影もあった。おかしなことに、彼は社会的にはなにもしていないということである。さらに、雑司ヶ谷の友人の墓のことなど、謎が多い。
・「両親と私」…私は大学を卒業して帰省した。私が就職のため上京しようとする直前、父の持病が悪化して危篤状態になった。そこへ先生から熱い手紙が届いた。「…私はもうこの世にはいない」という一行が目を射たとき、私は家を飛び出し、東京行きの汽車に乗った。
・「先生と遺書」…信頼していた親族に財産を横領され、恋のため友人を裏切る苦悩が天皇崩御や乃木大将殉死などを織り込んで描写され、先生の正体を知り、Kを自殺に追いやった悲劇の原因を知る。

■夏目漱石『こころ』をめぐって(2)−難解な『こころ』のいくつかの問題−(H27.5.21)
・「先生はなぜ〈青年(私)に遺書を託したのか」…「私は過去の因果で、人を疑りつけている。私は死ぬ前にたった一人でよいから、他を信用して死にたいと思っている。あなたは腹の底から真面目ですか」。「先生」は、「何千万といる日本人のうちで、ただ貴方だけに、私の過去を語りたいのです」。
・「青年時代の先生達のモラル」
①先生のモラル…「私とお嬢さんは、ただ堅いなりに親しくなるだけです。私は直接お嬢さんに打ち明ける機会があったのですが…。また、Kにお嬢さんのことを話をしようと思い立ってから何遍歯痒い不快に悩まされたかわかりません…。日本の習慣として、そういうことは許されていないのだという自覚が、その頃の私には強くありました。」
②Kのモラル…Kは真宗の坊さんの次男で、医者の所に養子に遣られた。「先生は心のうちで常にKを畏敬していた。Kは昔しから精進という言葉が好みでした。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだと云うのが彼の第一信条なのですから、摂欲や禁欲は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害になるのです。」

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(%エンピツ%)講義の内容
Kはなぜ死んだのか。
・先生は、Kという貧しい努力家の友人を助けようとする。「先生」が借りている軍人の未亡人の下宿の一室をKに提供して、「お嬢さん」と呼ばれる下宿の娘との接触を通じて、一種の宗教的信念に凝り固まっているKを、より人間的にしてやろうと企むのである。
・先生は、秘かに「お嬢さん」を愛していたが、ある日、Kが意外にも「お嬢さん」を愛していることを私(先生)に告白した。…Kは苦しい恋を打ち明けたが、私の苦しさには気づいていない。…私はまず『精神的に向上心のないものだ馬鹿だ』と云い放ちました。私はその一言でKの前に横たわる恋の行く手を塞ごうとしたのです。
・一週間後、先生は仮病で大学を休み奥さんに『奥さん、お嬢さんを私に下さい』と云いました。それから、Kは奥さんから「先生とお嬢さん」の婚約を伝えられた。…Kは、彼の「お嬢さん」への愛を誰にも打ち明けずに、静かに自殺を遂げる。
★(解釈)私はKの死因を、「Kは正しく失恋のために死んだものとすぐ極めてしまったのです」。しかし段々落ち着いた気分で、同じ現象に向かってみると、たやすくは解決がつかないように思われてきた。理想と現実の衝突−それでもまだ不十分でした。私は仕舞にKが私のようにたった一人で寂しくて仕方がなくなった結果、急に処決したのではなかろうかと疑がい出しました。そしてまた慄と(ぞっと)したのです。

庇護者・不器用な「自我」
(1)妻の〈純白〉
私〈先生〉は、妻には何にも知らせたくないのです。妻が己の過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存して置いてやりたい。(…「お嬢さん」はKをあてうまにして、先生に嫉妬心)。→奥さんは、夫〈先生〉とKの間に起こったすべてのことを告げられたら、彼女は耐えられるであろうか。
(2)私の責任
Kが養家の希望に背いて、自分の行きたい道を行こうとしたとき、経済上の苦境に立っていた。→私はKを救うために、奥さんの反対を押して同居させた。
(3)他者不在のK、心を開かない先生
・恋愛に陥ったKが、私に向かって、ただ漠然と「どう思う」と云うのです。→下宿に、後からきて、先生の気持ちすら読み取ろうとしないK。先生を同じ考えをもった人として見ていない。孤立している。
・私は、丁度他流試合でもする人のようにKを注意して見ていた。ともかく、Kの前に横たわる恋の行く手を塞ごうとした。…自分の心を打ち明けるべきだと思ったが、もう時期が後れてしまったという気も起った。共通の場をもって、わかりあえることができなかった。

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**あとがき**
・友人Kへの友情とお嬢さんへの思慕の板挟みとなった「先生」の心の葛藤と悲劇的な結末を描いている作品。
・先生は、自分の「自我」の醜悪に直面しなければならなかった。エゴイズムと人間の孤独。この事実は、「お嬢さん」という優しい伴侶を得たことによっても、少しも償われることがない。…私は、妻と顔を合わせているうちに、卒然とKに脅かされる(奥さんの存在が、Kを呼びおこす)。
・「こころ」が何故過ぎ去った「明治の精神」に対する弔辞とみなされるか。
≪終章≫
「…明治の精神に殉死するつもりだ。…私に乃木さんの死んだ理由が能く解らないように、貴方にも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移からくる人間の相違だから仕方がありません。」
−先生がついに自殺を決意するのは、明治天皇が崩御され、乃木大将がそれに殉じたときである。