夢に出てきた謎のおじさん

今朝早く・・・

寝ているか起きているか・・・曖昧な時に

私の夢の中に謎のおじさんが出てきました。

そのおじさんの御言葉が強烈で今でも覚えてますので、

ここでさらっとご紹介させていただきます(笑)♪

夢の舞台は、何故か私が幼少期過ごした家の台所。

朝早く、そのおじさんは日の差す

東の窓に向かってゆっくり歩く。

私はそのおじさんの後をついて行く。

私はそのおじさんに

「『お遍路すること』は善か、悪か。。。?」

と尋ねました。

私がどうしてそのおじさんに

そのように尋ねたかと言いますと、

夢の中のよしこちゃんは、以下のようにぼやいています(笑)。

「何か(お大師さん等)に導かれ、『四国遍路』に没頭すればする程、

真理が観え、ぶれなくてしなやか・・・強靭な自分が得られる。

しかしながら、ますます『俗』というものから遠ざかり、

鳥の如く・・・遥か高く下界を眺めている如く、外界(娑婆の情事)に

関心がゆかなくなる。

となると、色欲という盲目・錯覚からスタートする恋愛・・・

またその延長にある結婚(この世で最も厳しい、怒涛の夫婦道の実践)等の

あるとあらゆる『娑婆の情事』から・・・意識から言動までますます遠のいてしまう。

果たしてこのままで善いのか?」

・・・ということで、そのおじさんにした質問が

「『お遍路すること』は善か、悪か。。。?」

になった訳です。

すると、そのおじさんが静かに言う・・・

「善でも悪でもない」

それで、終わり。

画面が変わってしまいました(^^;)

目が覚めて、私は一人・・・

「『善でも悪でもない』って一体どういうこと!?」

という疑問が沸いてきました。

ほんと、「たかが夢、されど夢」

何だか妙〜に気になります(笑)。

そしてしばし考えて、寝起きのぼーっとした意識の中で、

「善でも悪でもない・・・全てが『空(くう)』である」

という言葉が聴こえてきました。

成程☆

これならガッテンがいきます。

この世で起こることは全て『空』だということですよね。

それであって、それでない。

それでなくて、それであるという感じです。

「どっちか」ではなく、

「どっちもそう」であり、「どっちも違う」ということです。

陰か陽か?の二者択一ではなく、

陰陽双方を包括する『中庸の境地』であります。

そして全ては「ひとつながり」。

全ては同じ。

全てが人生の糧になる。

お遍路も仕事もプライベートも・・・全て含めて私の人生であり、

全てに意味があり、

全てが必要であり、

全てをひっくるめて「私(わたくし)」というものなんですよね。

どれが欠けても「私」ではないんですよね。

その「私」というものは、人それぞれ違うものでありますが、

全ての「私」は、「空」でつながっている・・・

というよりか、

「空」という大きい無限の、一つのものの中に、

幾百千(無数)の「私」があり・・・

全てが一つの「空」ということで、

全てが一体(一つのもの)だということです。

「空(くう)」というもの(境地)を、比較的見えるもので例えるならば、

「宇宙(宇宙空間)」であります。

(※地球も宇宙の一部であります)

宇宙は一見何もありませんが、

果てしない時間をかけてですが、

地球を創造したり、太陽を創造して来ました。

何もないように見えて、実は、ありとあらゆるものを創造する

「もと(元素)」が無限にちりばめられているのが「空」の境地であり、

ある「もと」が、何らかの意志を持ち、そしてある法則(ルール)に則って合一すれば、

それが人間になったり、植物になったり、彗星や惑星になったりする訳です。

その合一する上で必要なのが「縁」という外部的なエネルギー(他力本願)で、

プラス、「もと」同士が自主的に合一したいと思い、努力する

内部的なエネルギー(自力本願)が必要なものなんだと思います。

更に分かりやすい事例が、

例えばここに若き男女がいたとして、

その男女が共に惹かれ合うと、それが結婚という

合一という現象が起こります。

ところが、どちらかもしくは両方が相手に対して

恋愛感情を抱いたり、結婚したいという意識を持ち、努力しなければ

結婚は成立しません。

これが自力本願・内部的なエネルギーとなります。

もしくは、二人共に惹かれ合っていても

両親が結婚に猛烈に反対したり、

どちらかが既婚者で、離婚出来なかったり、

どちらかが病気や事故で亡くなってしまったり

する状態にあれば、

結婚することは成立しなくなって来ます。

これが他力本願・外部的なエネルギーとなります。

(つまり、自分たちではどうしようも出来ない力のことです)

こんな感じで、

世の中には、自力と他力が存在し・・・

他力があって、そこに自力が乗っかって、

物事が成就するパターンもありますが・・・

基本的には、自力本願がまずあって、

その自己努力の上で、他力本願が巻き起こり、

全てが結実成就してゆくようです。

が、自分の意志が天意と合致(合一)しない場合、

いくら努力しても、叶わないという場合も

意外とたくさん起こってきます。

要は、人生は基本的に自力本願な訳ですが、

他力本願という、天や他者が応援してくれる方向に、

自分の自力本願(自己努力)を合わせて

そこに努力(=念)をつぎ込んで行く方法が、

人生において、最も早く幸せになれる方法で且つ

それが、人生における「修行」というものなんだと思います。

そのためには、人生(修行)を通して、

『大自然(森羅万象)の法則』を知り、

その大自然の『意志』並びに『流れ』を常に把握し、

それに沿う心を持ち、

それに沿う言動をし続けなければならず・・・

そのためには、「ありのまま」「すなお」になる・・・

なり切るという『我を捨て切る』境地に達する必要があるようです。

さいごに、その不思議なおじさんが出てきた夢の最後に

どこからともなく流れて来た歌・・・

倖田來未ちゃんの「奇跡」という歌。

昔、よく聴いていた歌です。

叶わないものを叶えてく力が

世界にはきっと満ち溢れてるから

君への想いが 勇気に変わる頃

光がそっと差し込むだろう

久しぶりに、また聴いてみました。

ほんと、この歌を来ていた時から

10年以上経って、思えばエライ遠くまで来たなぁ・・・と

しみじみ感じます。。。まさに、感無量。

10年以上前の・・・

ほんと、普通に働き、普通に恋をし生きていた

25歳くらいだった私が

28歳の時に起業をし、お遍路をする前の私では

想像も出来なかったことが今起こり、そして起こり続けています。

一般常識から行くと、私の人生って、

20代の方が『普通』でいいかも知れません。

テレビのニュースやドキュメンタリーは見ずに、

トレンディードラマやバラエティ番組ばかりを見て、

同世代の子たちと、昨晩のテレビドラマの話し等の

共通の話題でワイワイ話したり・・・

仕事が休みの日は彼氏とデート、友達とショッピングにカラオケに

ケーキバイキング、そして旅行などの消費行動で

人生のその時の愉しみ(快楽)を見出しつつ、

「28歳までには・・・30歳までにはステキな彼氏ゲットして

結婚したいよね〜」って女子友達と言いながら、

「あの人はいい」「あの人はダメ」とかガールズトークしてました(笑)。

目先の損得だけを追いかけて、

全ての物事のもと(過去、原点)や

その先(未来、これから先の時代の現象)なんて、

正直なところ、ちっとも関心がありませんでした。

今、司馬遼太郎さんの歴史小説をむさぼるように読んでいますが・・・

我が家には昔父が読んでいた司馬小説が何冊かありますが、

当時は、そんなものは見向きもせず(笑)、

今とちょっと先の幸福、しかも自分だけの幸福だけを見て、

それを得たいが為に、必死でした。

得るばかり・抱え込むばかりで、何かを捨てるという発想もなく、

所有物(殆どガラクタ)も増える一方でした。

だから、一体どれ(何・誰)が本当に必要で、

どれ(何・誰)が本当は不必要なのか、分からなくなり、

そしていよいよ他者だけではなく、

自分自身、そのものまでも見失い

28歳の起業前後は苦難の連続で

「自分は何故今生きているのか?」ということを

人生初で、自分自身の人生(命があること)の意味を

真剣に問うようになった次第です。

そんな20代の自己中心的な思考形態に加え、

時代がひたすら「バブル崩壊(不況)」だったこともあり、

私の20代は、正直、暗い部分が多かったです。

まさに「暗中模索の時期」でしたので、

私は20代には戻りたいとは思いません。

だけど、その20代にお世話になった・・・

応援し、こんな私を支え、一緒にいて下さった方々に対しては、

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

もう一生会わない人もおられると思います。

そんな方々のご多幸を、私は静かに祈り続けます。

・・・そんな暗い20代があったからこそ、

「若さ」を武器に無我夢中で起業をし、

そして『お遍路』等の精神修行の場・機会に出会えた訳であり・・・

・・・そんな暗い時代の上に

今の「囚われの無い」清々しい青空のような幸福が築かれているのは、

間違いのない事実なんです。

にしても、何故・・・どこでどう間違ったのか?(笑)、

28歳で起業し、29歳でお遍路と出会い・・・

所謂「普通の女性の人生」からはどんどん遠ざかってしまい・・・

日頃同世代の子たちと話しをする機会がほぼなく・・・

口から出る言葉は無駄のない「真理」云々ばかりになってきました。

目指すは「得る」のではなく「捨てる」。

「捨て切ることで、『全て』を得る」という人生に

だんだんと変わって行きました。

虚実や幻想のカタマリのエエカッコしぃの同世代男子を捕まえれば、

その人の為、社会の為にそれを玉砕して差し上げようと、陰に陽に説教したり、

「最近の若者(特に男子)な全然なっとらん〜」と

経営者のおじさま方と、ウーロン茶片手に居酒屋で愚痴る日々。

政治経済、教育等の各種社会問題にも愚痴る日々。。。

正に「オッサントーク」で日々盛り上がっています(笑)。

愚痴りながら、日々様々な荒行に専念しているうちに、

どんどん「諦めの境地」や「捨ての境地」に達し、

自立心・自律心がどんどん強靭になって、

異性(性欲)や物質(モノカネ、物欲)、そして

「自分が他者にどう思われているのか(名誉欲)」にも

いよいよ関心がなくなり、

何も・誰も必要となくなって、そして気づけば、

見事に『オッサン化』してマシタ(ムンクの叫び★)。

だけど私は今が一番、善い人生を歩めていると

そう心から思っています。

傍から見れば、未だ不器用でおかしいかも知れません。

何を隠そう、自分自身(っていうか「もう一人の私」)が

冷静沈着に一番「おかしい」と思っています(爆)★

だけど、曲りなりにも

その時時の私が、精一杯悩みながら、そして

悩み抜いて、「取捨選択」して来た、その結果が

今の私の『全て』であります。

今までの判断・言動に対して、全責任を持っていますし、

細かい部分では失敗・後悔はありますが、

大勢に影響はなく、それは次回の『成功の糧』であり、

基本的に正しい道だと納得しています。

こんな感じで、

これからも紆余曲折しながらも、

希望と努力などという、

「叶わないものを叶えてく力」で持って、

今後もこの私の一度きりの人生の上で、『奇跡』をたくさん起こし続け、

今この38歳の私の想像を超える幸福感(境地)で持って

いつか、あの世に旅立って逝きたい・・・

そう成るべく、さらに精進してゆきたい・・・

そう改めて感じることが出来た、今朝の不思議な夢でしたぁ(%ニコ女%)(%星%)