皆さまこんにちは。ころころ通信委員のムニュです。

高温湿気がこたえます。梅雨時期いかがお過ごしでしょうか。

ムニュは、15歳の時に統合失調症を発症して、いわゆる思春期の時期だったのですが、「自分」を育てることはほとんどできなくなり、闘病につきっきりの状態となりました。その16年後に寛解ということになったのですが、今でも、「病気になっていなかったら自分は何になっていたのだろう」と思うことがあります。

うんと幼いころの興味の対象を思い出して伸ばそうとしてみたり、家族の傾向などを観察して真似してみたりと、じたばたしながら探しています。
ですが、寛解と言っても慢性的な障害はあり、30歳を越えてから自分を探すのはとても大変なことです。

ムニュは、毎日日誌をつけているのですが、いつごろからか、時間帯でいう夕方ごろに大きく気持ちが膨張し、思考があふれ、時に怒りや悲しみといった感情とともに満ち潮の様に自分が膨らむ時間があると気が付きました。
それが病気になる以前からあったものなのか、病気の中でそうなっていったのかはわかりませんが、「自分」とは、そんな決して形だけにとらわれたり、職業の名前や役割の名前、イメージの中だけにあるのではないのかもしれないと思いました。

「自分」という現象をありのままに捉え、自覚し、認め、解放してやることも、生きる営みの大事な一つではないかと思います。
思っているような自分でなくとも、小さくてもみじめでも、長く付き合う「自分」を、葛藤の中で受け入れてゆこうと思います。

 ムニュ