【7月5日(日)更新日記 その③ 愛媛・松山にて】
そして、今日・5日(日)、
愛媛・松山にあります、
「坂の上の雲ミュージアム」に行きました。
今日で3回目です(笑)♪
私にとって、ここは『聖地』のようなもので、
東大阪にある「司馬遼太郎記念館」同様、
ちょこちょこ行きたくなります。
この場所の素晴らしいところは、
明治という時代
(つまり、比較的近い私たち祖先の生きた時代)
のことが、客観的に分かるというところです。
現在日本が抱える、
様々な外交問題よりもケタ違いの山積みの
ありとあらゆる問題を、
今よりもずっと人数の少ない政治家&民衆たちによって
解決して来た時代であります。
にしましても、明治よりも今の方が時代も下り、
いろんなものがたくさん揃っている時代となりましたが、
現代日本人って、どうして悲壮感があるのでしょうか?
どうしてイマイチ希望が持てず、失望や諦めが多いのでしょうか?
そんな時代・・・だからこそ、「坂の上の雲」を掴もうと、
ただただそれだけを夢見て歩む、その時代の
楽天主義(optimism)者たちから学ぶべきことは
非常に多いと感じています。
最後に、司馬遼太郎『坂の上の雲』
第二巻「あとがき」(昭和四十四年十月)より
抜粋したお言葉を紹介させていただきます。
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・・・満州における諸会戦のあとを見てみても、
その敗因は日本軍の強さというよりも、
ロシア軍の指揮系統の混乱とか、
高級指揮官同士の相克とか、
そのようなことがむしろ敗北を
みずから招くようなことになっている。
戦後(日露戦)の日本は、
この冷厳な相対関係を国民に教えようとせず、
国民もそれを知ろうとはしなかった。
むしろ勝利を絶対化し、
日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、
その部分において民族的に痴呆化した。
日露戦争を境として日本人の国民的理性が大きく後退して、
狂躁の昭和期に入る。
やがて国家と国民が狂いだして
太平洋戦争をやってのけて敗北するのは、
日露戦争後わずか40年のちのことである。
敗戦が国民に理性をあたえ、
勝利が国民を狂気にするとすれば、
長い民族の歴史からみれば、
戦争の勝敗などというものは
まことに不可思議なものである。
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・・・深い、お言葉ですね。
人間って、苦難や苦悩によって、成長し、
幸福によって堕落するという性を持っているようですね。
さりとて、人生がずっと苦難続きもしんどいですし、
ずっと幸福でも堕落するし・・・。
ということで、人間というものの人生には、
苦難と幸福とがバイオリズム・陰陽を繰り返すように
交互にやって来るように「出来ている」のかも
知れませんね。
となりますと、
苦難と幸福とは、コインの裏表のような関係であり、
深いところ・観えないところで、繋がっていて・・・
というか、本当は「同一のもの」なんでしょうね。
にしましましても、1回目よりも2回目、
2回目よりも今回の方が、
より「坂の上の雲」の世界に近づけているような気がします。
こんな感じで、同じ場所を何回も訪れるのは、
自己成長の一つの物差しのようになり、
そんな意味でもいいかも知れません。
さて。。。
明日は「石槌山」のある、愛媛県西条市に移動します。
ここ数年来の念願だった、石槌山登拝にチャレンジしま〜すっ(%笑う女%)(%王冠%)