皆さまこんにちは。ころころ通信委員のムニュです。

本格的な夏が来ました。蝉も鳴き、一気に暑さも増し、健康を保ちながら生活するのに知恵を振り絞る季節となりました。
ムニュは両親と同居をしているのですが、一つ屋根の下で暮らしていると、お互いの状態や機嫌などで、さまざまな思いに駆られることがあります。
対人だけでなく、自分の状況、過去、現在、未来など、状態によっていろんな風に感じ思いを巡らすことがあります。
その内容が、時にネガティブで、どうしようもなく悲しみや怒り、絶望に駆られたり、逆にふわっとした永久に続くかもと思ってしまう安らぎの中に居る時もあります。

ムニュは、ころころ変わるこの認知が、どちらが本当なのだろう?と思うことがあります。どちらかに居るときは、本当にそれが揺るぎない真実の様に思われますが、どちらかに変わると、まったくありえないと感じることがあります。
そこでたまに考えてしまうのが、対人、親兄弟や友達、支援者に感じている気持ち、自分の人生、特に最期の時に感じている気持ちが、このネガティブさなのか多幸感なのか。

コインの裏表を占うように、どちらに気持ちがぶれているのだろうと考え込むことがあります。
これは意思で決められるものではないのかもしれません。
自分の心身の状態が、どちら寄りに向いているか。
対人の最後や、自分の最期の際に、ただ少しでも良いものがあってほしいと願うしかないのかもしれません。
ただ、思ったのが、いろんなものとの別れの際に抱いた感情を、それがたとえひどくネガティブなものであったとしても、せめてすべて肯定してやれることは出来ないかな?と思いました。
いろんな物事に抱く気持ちや感情に、正解不正解は無いと思います。複雑で、人それぞれ違い、自分でも本心が分からないことも多いと思います。
それをそのまま、変化もそのまま受け止めて肯定してやれたら、心の持ちようの苦悩とも、少し付き合いやすくなるのではと思います。

 ムニュ