今日は朝から1,2年生のルーキーリーグと練習試合を行いました!
会場は八千代グランドとホームだったので設営、準備をしなければなりませんでした。試合相手は昨日3年生が対戦していただいた野々池中さんでした。二日連続同じ相手とさせてもらう経験もあまりなく、ある意味貴重な体験となりました。
今、この時期は1,2年生にはそれぞれが持っているサッカー観というものを逆に見せてもらっています。自分は指導者としてどの程度の事をどのタイミングで与えていくか?というのは選手によって違うと思うし、それを見極める意味でも各自が持っている現時点のものを出し切ってもらおうと思っています。そしてこうした対外試合を経て、色んなチーム、色んな選手がいる事も知ってもらった上で、自分達が本当に努力をしているのか?がんばっているのか?という事を向き合ってもらおうと思います。今日一日一緒にいてもよく分かったのですが、自分でしない、自分からしない選手はやっぱり自分自身と本当に向き合えていないし、そのくせに周りの評価だけは良く思われたいと考えるから『その場を取り繕う事』しかしません。だからチームにとっての本当の力となれないし、ごまかしが効かない試合という場ではそういうのがモロに出ました。
ルーキーリーグが先にあったので、準備は2年生を中心に行いました。
でも、先日の3年生と同様に『試合に集中させてもらえるありがたみ』みたいなものは全くなく、せっかくアップ出来る時間をもらっておきながら始めたアップはいきなりの一列でのポストシュート・・・。20人弱いる人数でこのアップをすると、一人がシュートしている間、残りのメンバーは後ろで何もせずにただの順番待ちをしています・・・。各自課題もあるだろうし、それぞれにやりたい思いもあるはずなのに・・・・こういう『サッカー観』を観て愕然とするし、こんな事を当たり前のように、適当にやってしまう感覚がすでにみんなのサッカーをうまくする為の条件から外れていると思います。それを少し指摘し、話をすると、みんなは『2年生の真似』を始めました。別に真似をするのは悪いとも思いません。良い事はやれば良いと思うし・・・。でも、『中身のない真似』は形だけだから、再びやり始めたハーフコートでのよく分からない8対8ぐらいのアップは何を目的にしているのか?も分からず、準備を終えた2年生を集めて『このアップを観てどう思う?』と聞いた上で、2年生が思う改善点を指摘し、1年生を修正してくれた事により、かなり中身も見える、目的があるアップへと変化をしました。これは修正出来た2年生のサッカー観が成長している証拠であり、言われてからでないと気付かない1年生はまだまだ何も考えずにやっているし、考えそのものがいかに浅いか?って事がよく分かりました。
当然、その『状況に気付かない浅はかさ』は試合にも出ます。
自分が今何をすれば仲間の為になるのか?状況がどうなるのか?を考えていません。一番の大きな弱さは『何をするのも後手』である事です。相手よりも先に!というプレーがほとんどありません。常に、攻撃も、守備も、相手のアクションがあってからのリアクションとなっている事で後手となり、ほぼ追いかける展開となります。でも、その追いかける事であっても懸命にやり続ける事が出来れば相手にとって嫌なプレーとなるのですが、追いかける事すら途中で辞めたり、自分の都合でしか行かない。しんどい、暑い、疲れた。そんな都合を入れるから『がんばり所』が本当にない試合だったし、見ている側にもまるで伝わるものはありませんでした。暑さで疲れただけ・・・本当にそんな印象でした。
1年生は基本的に、コーチからの問いかけに対してもほぼ考えずにその場だけのいい加減な返答をします。その場だけを凌ぐから次の質問をした時に話が合わなくなってきます。自分の返答にすら責任を持てない人間が、自分のやりたい事、やるべき事、仲間の為、なんて事出来るはずがありません。だからこそ、まずは自分がやる事ぐらい責任を持ちなさいって事をずっと言ってるのです。
声を出したほうが良い
動いたほうが良い
提示したほうが良い
指摘したほうが良い
考えたほうが良い
しゃべったほうが良い
と言う『のに』何一つやりません。だから忘れ物を簡単にするし、人のせいにするのです。『俺自身がまずしっかりとやります!』という選手が一人もいません。そら、試合にもならないはずです。各自が自分のやりたい時に、やりたい事だけやって、後は人のせいですから・・・。
この1年生の現実は本当に残酷なものですが、この夏に変えていくつもりです。
いつまでも甘えたままでサッカーをやろうとするのは無理があるし、『自分のペース』というのも『サッカーをうまくなる為に』という大前提があってこそ成り立つのです。今の1年生はそれすらない中で『自分のペースでやる』だけだから何一つ身に付かない。今日も話しましたが、がんばらなければいけない時というのはいつも『自分の都合じゃない時』なのです。体張って守備をしたり、ボールが来なくても長い距離を走ったり、大声で指示をしたり、ヘディングで競り合ったり、勝敗を決めるようなプレーは誰かががんばってこそ起きるのです。それをみんながお互いに期待しているような今の関係性では何も生まれないし、何も良くならない。サッカーに対しての考えが甘いし、軽すぎるという事。もっと本気で向き合わないといけない時期に来ている。
2年生のほうは全体としてはがんばる所が分かってきているし、もちろんプレーの質も1年生に比べて遥かに高い。でも、比べるのは1年生とではなく、3年生とも比べてこそ、だし、そうなると弱い。つまり2年生もがんばってはいるけど、『自分達の殻の中だけで』がんばっている状態。お互いに『もっと高め合う』ような指摘はないし、各自でブツブツ不満を言ってるだけのようなそんな状況。チームとして生み出せない。いつも2年生は『何かが起きる前だけ』しっかりとみんなでミーティングをしたり、話し合うのですが、その通りにいかなかったり、うまくいかないと全く向き合わない。
2年生には2年生の良さも課題も当然あるという事です!
今日の野々池中さんは試合後にもずっとダッシュをやっていました。トレーニングしている選手に質問しました。『何でこんな事やってるの?』と。
すると、『もっと強くなるためにはがんばらないといけないからです』という返答。要するに、『意味を持ってやっている』のです。今の1,2年生のように『言われてからやる』のとは訳が違います。みんなは自分の知っている世界があまりに狭く、すぐに『僕なりにがんばりました』と言う。試合が終わると、さっさと着替え、影のあるベンチでワイワイしゃべっている人間が『僕なりにがんばっています!』と言います。その隣では意味を持ってしんどいダッシュをひたすらやっている『サッカー仲間』がいるのに、です。
同じ会場にいても、そこに気付かない視野の狭さと考えの狭さ。これは相当の覚悟を持って指導していかなければ変化は起きないと本当に厳しい現実を突きつけられました。ですが、逃げる訳にもいかないし、自分は個人的にはこんな状態からどこまで良くなっていくんだろうか?と楽しみですが、肝心の本人達は『目指す具体的な形』ってあるんでしょうか?うまくなりたい、強くなりたい、余裕を持ちたい、がんばりたい・・・全部出てくる言葉は『抽象的』なものばかり。
具体的なものがないから、行動も全部『抽象的』になる。サッカーが出来る服を着て、サッカーが出来る場所に行って、サッカーっぽい事をやりました、だけ。中身がない。サッカーもやれていない。
サッカーを教わるなら、サッカーを理解しよう!1,2年生からはサッカーの事について質問を受けた事すらほとんどない。どうすればうまく対応出来るのか?崩せるのか?なんて話を1,2年生とした事がない。常に『後手』。常に『受身』なこのメンバーにどれだけの時間で変化させられるか?長い挑戦をめげずにやっていこうと思います!