昨日は城山公園にて1,2年生の練習試合を昼間に行いました!!
夏休みは昼間に試合の場を多く出来る機会があるし、それは暑いという、しんどいという中だからこそ見える各自の弱さみたいなものへ向き合わせる絶好の機会でもあります。誰もが、自分を強くする、成長する時には必ず何かしらの試練だったり、苦しい時、がんばらないと出来ない事をがんばったという経験の先にあるのです。こういう暑い時期には日中の過ごし方もモロに出てきます。クーラーだったり、甘い物ばかり食べたり、冷たい物を食べたり・・・もちろんリフレッシュとして取り入れる程度なら構いません。でも、そういうのが習慣化してしまうと体も心も弱くなるばかりです。
ちょっとぐらい・・・という弱さに負けてしまうのはそのまま試合にも出ます。仲間がしんどい時にも自分の都合で助けません。自分がしんどいから、自分が暑いから、と。それを越えてお互いを助け合ったり、良さを出し合うのがサッカーというスポーツ。中学生になって、みんなは大きなボール、大きなコートに、長い時間という変化が起きました。だからこそ、協力しなければきつい事も考えれば分かる話です。それを考えないから経験に気付かせる自分は設定として与えます。それでも考えないから問いかけます。
自分からやらない子は全員『楽しめない』訳です。なのに、楽しめない理由を周りのせいにします。自分が自分でやらなければいけない事をやらずに、人の、周りのせいにします。
思うように出来ないという気持ちは分かるのですが、『思うように』という思う事すらしない子が多すぎるのです。考えずに、ただただみんなと同じピッチに立って人に言われるがままにやろうとする。だからうまくいかないのは当然なのです。みんなは社会人になってからも誰かの指示を待って何かをしていくつもりでしょうか?自分からやれる人間のほうが楽しくなると思いませんか?いつもそんな話をするし、それを聞くと『そうです!』と分かっているのです。
分かっているのに・・・・
です。『出来ない』ではなく『やらない』のです。ここの線引きさえ出来れば改善の余地はありますが、やらないという自分の都合を出してしまえばそれ以上出来る事なんてありません。
強くなれるかどうか?は自分にとって『厳しい環境』でないといけないのです。厳しいってという捉え方も人によって違うと思いますが、やっている当人がまず何を置いても優先だという事。その当人が『どうなりたいか?』があり、そこへ向けての努力だったり、強くなる為の事をしていく手段が生まれてきます。考えるという事が先に来なければ何をやっても自分の中には残りません。人に言われた事、やらされた事では何も残らないのです。
例えばチームとして、ファルコとして『これをしなさい!』と常に言い続けてそれを『やらされて出来た』時はチームの成果にはなりませんが、一番肝心な当人の成果にはなりません。大事なのは、『僕はこうなりたいからファルコに入った』という事があるかどうか?みんなもう忘れていないか?サッカーがうまくなりたいとか強くなりたい、勝ちたいというような事をみんな最初に言っています。その言葉の責任や重みを今、ようやく感じようとしている所なのです。だからこそ今逃げてはいけないのです!!ようやく自分が発する言葉の意味や重みも理解してきたからこそ、そこから『本当に考えて発言をする意味』を理解しなければなりません。
北播で優勝したい!!
とか最初は簡単に言いますが、それがいかに難しいか?は実際に対戦していけば分かってくるものです。そうやって経験をして本当の『意味ある言葉』を作っていくのです。今はそういう時期です。これまでのみんなは、周りに指定された言葉、見た目を整える言葉、その場を取り繕う言葉、外見をよく見せる言葉、というような形で『本人が恥ずかしい思いをしないように』という願いの中で色々言わされてきているのです。その中に本人の意思や思いは含まれず、体裁を整える事がほとんどのままここまで来ています。
だから自分は子供によく『どう思ってるの?』というその子の感想を聞いているだけでも返事がすぐに出てくる事はありません。2年生は月日がそれだけ経過してきているので、今は返事がだいぶ早くはなってきましたが、1年生はほとんどがその返答が返ってこないような状況です。誰が?誰の為に?という事が整っていない今、いくらこちらが何かをやろうと提示しても無意味に終わっていくという事の意味が分かってきました。
選手には選手の責任というものがあり、それがないような状態で『とりあえず行くからサッカー教えてください、うまくしてください』ってそんな無責任な形です。
自分は育成の指導者の立場として、サッカーに関わる事であったり、人と育てるという事を伝えていくべき立場にいます。
サッカーがうまく出来ない理由を探ります。例えば試合の1プレーでトラップミスをしました。という時に『そのトラップのやり方がおかしい』という『起きた現象の改善』をしている事はありません。それよりももっと以前の『どうしてそもそもトラップが必要だと思ったの?』という所へアプローチしている訳です。そういう部分への問いかけを恐らくされた事がないから、そう言われると結果何も考えていませんでした。今までやってきたサッカーでは、ここでトラップをしてかたからです!というような答えになるのです。
つまり、自分はそういう知らず知らずにやらされてきた考え方を『自分の考え』にするべきであると言い続けているのです。コーチから観てがんばっていないからがんばれ!なんて思っているのではなく、『自分がやると言った責任はどこにあるの?』って事です。それを棚に上げて、『厳しい』という言葉で片付けられる最近の自分。
自分の人生を振り返って、嫌な思いを一つもせずに大きくなれた、成長出来た人間いますか?自分で考えないで何かを成し得た人はいますか?その『成功の為にがんばるべき時間=嫌な事もやる時間』が『ただの嫌な事』として捉え、逃げる選択をするのはどう考えても浅い。『その場』しか見ていないから嫌な経験を、『嫌』だけで済ませるのです。ボールを失ったミスのその場しか見えないのです。ですから保護者の方々も、『その時・その局面』ではなく『もっと準備の段階で何か出来なかったか?』をもっともっと選手と一緒に考えてほしいのです。その場の起きた事に対してあれこれ言っても何も変わりません。そうではなく、起きた要因、起こさない為の方法などに目を向けてサッカー自体も観たり考えていただけると面白さが変わると思います。
楽しくするのは自分自身の考え方。行動の起こし方だけ。もっと自分の『先』を観て今やるべき事ときちんと向き合っていきましょう!!