同じ過ちを繰り返す経営者は会社を潰す 同じ過ちを繰り返す国民は国を滅ぼす 後編

今、国会では安保法案に関連して

もめにもめています。

私はそこにも

日本の『末期症状』を感じています。

真の政治家は、明日の国家像(未来)を観ている。

政治屋(偽物の政治家)は次の選挙を見ている。

そのような言葉を先日ある方から教えて頂きましたが、

100%明日の国家の安寧を思っている政治家は

存在しておりません。

次の選挙に当選すること(自己の安寧)、

それに関連して、自分が属している

「政党の安寧」を少しでも考えると、

その政治家自身の「志」というものが

一瞬にして曇って穢れ、純粋さを消失し、

志が志で無くなってしまいます。

『そもそも論』としまして、安保法案の賛成・反対や、

戦後70年談話の内容云々以前に、

明日の国家の安寧だけをド真剣に思い、

自らの命をそれに捧げる

肚の座った政治家が存在し得ないところに

この国家に対する危機感(一種の諦め・絶望感)があり、

そこに日本の末期症状を感じる次第であります。

私がこの世で最も信用出来ない職業人は

政治家と宗教家であります。基本的に信用していません。

それが何故かと申しますと、

言動と心で思っていることが一致していない からです。

先述のように、

国家や地域の安寧の為にと口では言っていても

腹の底で考えていることは次の選挙(=自己の安寧)であります。

100%国家(自分以外の誰か)の安寧を想い、

それを実直に実践し続けている政治家は100%存在しておりません。

「いや、私は100%国民・市民の為に政治家生命に命捧げています」と

はっきり断言出来る政治家がおられれば、私まで申し出て頂きたい。

徹底的に「公開議論」して差し上げます。

そして宗教家です。

宗教家の多くは『説法』というものをされますが、

お釈迦様やお大師さん、蓮如上人などのように、

みんな自分の人生を、精進し抜いておられるのでしょうか?

口では、いにしえの聖人たちの御言葉をすらすらとおっしゃいます。

「ああ、なるほどなぁ・・・」と、我々凡人は頭では何となく納得いたします。

ところが、口先だけで肚(心の底)から、

言っている感じはしません。

ですので私は、心の底から感動したお坊さんのお話を聞いたことは

過去2〜3回(数名)しかありません。

つまり、その宗教家は知識として頭だけで

聖人たちの言葉を知識として知っているだけで、

実際、自身の人生や宗教家として、それを実践し、

真に・完全に肚にまた魂に落とし込んでいない宗教家が

意外と多いということです。

この娑婆の世界には、100%聖人なんて

確実に存在し得ません。

それは政治家でも宗教家でも、だれでも同じであります。

人間としてこの娑婆の世界に存在していることが、

そもそも論として、100%聖人ではないということの証であります。

分かる人には分かるのです。

しかしながら、特に政治家と宗教家は

職業柄か、そんな人間に装いたくなる性格の持ち主が多いのか、

(煩悩多すぎ?)、100%聖人を装っています。

それが私が信用出来ない根本的理由です。

言っていることとやっていること、心で思っていることが

バラバラといいますか、真逆の人間は許されません。

ゲリラ豪雨の稲妻のように天罰を与え給うように

私は陰にご祈願申し上げる次第です。

(ま、私がわざわざご祈願申し上げなくても、自然とそうなって逝きます)

一方で、経営者、そしてヤクザ(?)のような人たちは、

政治家&宗教家と比べ、比較的正直で、

「勝ち残る為に、限りなく黒に近いグレーなこともしています」的に

正直にお話をされはります。

私は例え『ワル』や『罪人』であったとしても、

言動(思っていることとやっていること)が

一致している人の方が、罪は絶対的に軽いと観ております。

つまり、「僕は悪い人間です」と言いつつ

実際悪いことをしている人間の方よりも、

「僕は善い人間です」と言いつつも

実際悪いことをしている人間の方が、

ケタ違いに悪者であり、罪人だということです。

私は以上のような、娑婆における反面教師を

静かに観察をし続けながら、

言動一致の出来る人間を

曲りなりにですが、目指しております。

例え少なくて小さくても、

自分が思っていること(心の有り様)が

そのままストレートに自分の人生や経営、

活動に投影される生き方を

この娑婆の世界で貫き通し、遺してゆきたいのです。

自分がついた嘘や犯した罪は、

他人には分からないこともあります。

しかしながら、『天(※聖人レベルの人間も含む)』と

『自分だけ』はその全ての嘘を、そして罪を知っているのです。

全てを見抜いて、蓄積され遺ってゆくのです。

だから私は嘘をつき、罪を作れないのです。

そして、そのような生き方こそが、

真の人生の幸福なんだということが、

我が人生・38年間における

いろんな人生の出来事・出会い(縁)によって

確信を得たことに対して、

あらゆるもの・全てのことに感謝申し上げ、

『神恩報賽』に生きなければという

使命感を感じる次第であります。

・・・さて、今日のブログのタイトルです。

(前置きが凄く長くなってしまいました^^;)

同じ過ちを繰り返す経営者は会社を潰す

同じ過ちを繰り返す国民は国を滅ぼす

・・・今日、自転車に乗って来たら、

そんな言葉が“空”から降ってきました。

私の頭や口から出ている言葉ですが、

私の言葉でない感じがします。

(っていうか、最近益々・・・このブログに書く言葉が

どうも私の言葉でないような感じもいたします。

ですので、驚異的にすらすらと浮かんで、

一気に書いてしまいます・・・?^^;笑)

人間は不完全です。

不完全だから、無限の可能性(宇宙)を持っているのです。

ただ、この娑婆で生きている間(人生全体)に

相対的に罪ばかり犯していれば、

どんどん堕落して、自他共に崩壊していって不幸に堕ちて逝きます。

死に様も壮絶で哀れでしょう。

(自業自得。もしくは『家系の罪』が重すぎるのかも知れません)

人間は日々の人生修行の中で、

いろいろな失敗を犯します。

失敗の中から、人は次訪れるであろう

『成功の種』を拾って、それを大事に育て、

成功という花を咲かせてゆき、

そしてまた次の失敗に立ち向かってゆき、

一歩ずつ魂を練磨し、レベルを上げてゆきます。

ところが、同じ失敗を繰り返している人間

(所謂「健常者」の中でです)も

意外と多く存在するということに気づきました。

停滞&迷走台風のような人間が存在するのです。

もっと分かりやすく言いますと、「学習能力」がないのです。

「学習しよう」という意志や感性(受信機能)がないのです。

私なりに何故いい大人になって「学習能力がない(乏しい)」のか?

その分析を行ってみました。

①DNA 脳や身体能力の欠陥(障害者レベルではない軽度のもの)

②親等の教育による欠陥(所謂「ボンボン」。何不自由なく育ち、

学習能力などあらゆる能力を開花・練磨しなくても生きて来れた)

③何らかの「トラウマ」が生後環境で得て、

外部からの刺激(マイナスの出来事、他者からの攻撃等)を

過度に遮断して、自分を過度に守っている。

(そのような陰に篭もる性格を元々持って生まれている)

これらの共通するのは、

「先祖・家系の罪を背負っている」ということです。

何故、停滞台風のように、生成発展してゆかない

(ゆきにくい)人間が出来るのか?

全ては『因果応報』、答えは全て『過去』にあり・・・

(ここからは完全な推測です)

その人間の先祖の中で、

健全・純粋に生成発展してゆこうとする人間を殺したり、

(自分の身内・赤ちゃん等、他人)

健全に生成発展すべき時に、完全なる自己怠慢で

他人・身内に多大なる迷惑をかけたり・・・

いろいろ推測されます。

もしも私が、400年くらい生きることが出来れば、

家系というものを研究し、ありとあらゆる家系を追跡調査し・・・

こんな親の子がこうなって、この子の子がこうなって、

更にこの子の子がこうなって・・・と

冷静且つ客観的に検証し、『家系学』を極めたいと思うのですが、

せいぜい100年程度しか生きれないので、

現時点では、推測の部分がかなり多い状態となっています(苦笑)。

にしましても、そんな迷走台風のような人間は、

まだ先祖(家系)の徳が残っていれば、

人生逃げ切れるでしょう。

その徳を食いつぶせばいいのですから。

(だけど、確実に子孫が「消罪」に追われ心身に苦労が増えます)

しかし生きている途中で、その徳が底をついてしまったら、

そんな人の人生はどうなるのでしょうか。

その少し先に存在する恐怖に気づいていないのは、

本人のみであります。南無阿弥陀仏。

・・・ということで、以上を踏まえ、私は、

「同じ種類の失敗は一回だけにする」と

決めております。

ということで、一回目だけは

みなさま、どうぞ笑って許していただければと思います(笑)。

・・・小説『坂の上の雲』を観ますと、

「ああ、こんな失敗って、日露戦争時だけやなくて、

大東亜戦争時にも

そして今も繰り返しているよなぁ・・・。」って

ゲンナリすることが多々ありました。

つまり、我々子孫は、先祖が犯した同じ過ちを繰り返し、

消罪・徳積みどころか、罪を作り続けているということです。

ご先祖様は、私たち子孫に対して、

「私たちと同じ過ちを起こして、不幸になって欲しくない。

繰り返さず、幸せになって欲しい」

願っておられることは間違いないでしょう。

ところが、死人には口がないし、

過去の出来事はもう目には見えないので、

「無い」「いない」ものとなり、

そして今もなお、同じ失敗を繰り返しているのです。

私は「我々子孫は、何と無駄な時間や労力を繰り返しているのか!!?」と、

途方も無い疲労感や、一種の絶望感を感じました。

先祖の失敗・・・人生経験(念)そのものが、

私たち子孫のDNAに全て詰まっております。

そのDNAに私の意志でアクセスすれば(それが祈りという行為でしょうか)

いつでもどこでもすぐに、その時代に生きていた

ご先祖様と会話(非言語コミュニケーション)が出来るような気がしています。

『坂の上の雲』を観ておりますと、

「『坂の上の雲の風景』が懐かしいなぁ・・・

あの頃は良かったなぁ〜、夢があったなぁ・・・」と

何だかしみじみ感じている自分がいたのが不思議であります。

あの時代、私は影もカタチもありませんでしたが(当然のことながら・笑)、

だけど、私の曾祖父母あたりが確実に生きておりました。

曾祖父母やその上のご先祖様の“念”が

私が『坂の上の雲』を観ることによって、

私の“念”と一体化されて、

ふつふつと今に『表面化』して来たような感じがしました。

私は夜ベッドで一人で本を観ておりましたが、

多くのご先祖様と一緒に観ているという

何とも騒がしい、そして楽しい感じがしておりました(笑)。

あ☆そうそう。

よく「よしこちゃんって、一人で歩き遍路してて

怖くない?寂しくない?」と聞かれます。

私はほぼ思ったことがありません。

それは『同行二人』だからです。

お大師さんと共に、ご先祖さま(特に遍路好のご先祖様)と共に、

いつもお世話になっている方々と共に、

同じお遍路さんと共に、四国の方々と共に・・・

とにかく、いろんな過去&今の人たちと一緒に歩いている

お参りしている・・・生きているという感覚が

常にあるからです。

人は孤独であるようで、実はそうでありません。

自分が孤独だと思うから孤独であり、

孤独じゃないと思えば、孤独ではありません。

要は考え方、心の有り様、次第であります。

見える状況・状態が全てではありません。

自分の心が全てを決め、全てを生成発展させてゆくのです。

今の、しかも目に見える状況に惑わされてはいけません。

無駄に、自分の手で不幸に陥るだけであります。

2回目の『坂の上の雲』を読破し、

次も2回目の『失敗の本質〜日本軍の組織論的研究〜』

を読もうと既に準備をしています。

この本も、尊敬する千葉の経営者の先輩から勧められました。

この本は、何故日本が大東亜戦争に負けたのか?

日本軍の失敗をあらゆる角度で、数名の著者が

客観的に記したものであります。

思想論・主観論・感情論、

一切排除された科学的著書であります。

「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」

広島の原爆死没者慰霊碑の石碑前面に刻まれておりますが、

正にそのような心境であります。

【(%笑う女%)よしこちゃん 心の俳句(%笑う女%)】

向日葵の さきに佇む みたまかな