【新幹線・こだま号の中で書いています・笑♪】
以前より感じていることですが、
人間の“たましい”に於けるレベルは、
大きく分けて3つあるのではないか?
と捉えております。
①動物的ヒト
己自身の快楽のみを追求し、その充足に幸福感を感じる。
その有り様は動物同等、またはそれ以下。
物事の判断基準は『快or不快』。
②人間的人
①と③の間を行き来をし、常に葛藤をしている人。
殆どの人がこの領域。
物事の判断基準は『得or損』。
③神的人間
己以外の人・もの(対象物)に施す人間。
施すことを追求することに幸福感や人生の意義を見出だす。
正に存在は「神」の発顕!
物事の判断基準は『善or悪』
これらは一見同じ『人間』というカタチを持って生まれ、
この社会の中で生きておりますが、
“たましい”の観点から観ますと、
中身は同じ系列のものであっても異なります。
この①②③の人間のたましいを外観で判断するには
(つまり、外観通して、その人の中身・たましいを
観れる心眼力が問われます)
かなりの霊性(たましいのレベル)が高くないと
ぱっと見て分からないと思われます。
私はそこまで全然高くありませんので、
その人が行っていることや言葉という、
表面に出てくる『言動(行い)』で
そのレベルの判断出来る方法は無いものか?と
探り続けてきました。
なぜそのようなことを考えているかと言いますと、
私は以前も書かせていただきましたが、
限りある命の時間(あらゆる物質や能力も含む)を持った
私のこの人生を歩む上で、
この地球上にいる人全員とご縁が持てないので、
人の出会いやご縁『取捨選択』をする必要があり、
自らの意思で出来る範囲の選択をしたいと考えており、
その為に、出会う人間をある程度的確に把握した上で、
今後もご縁を紡ぐか、
バッサリ切り捨てるか判断したいと考えております。
結構な数の人が、人間関係(コミュニケーション)で
大きな悩みを抱えております。
お金の問題も、人様から運ばれてくるものですので、
その悩みの中に含まれます。
私が静かに観察をしておりますと、
『そもそも論』としまして、
余計な、無駄に多い人間関係を持ち過ぎだと思われます。
無駄に多いので、意識散漫状態となり、
本当に重要な人間に対して、
心遣いがし切れていないようです。
また「欲しい・抱え込んでおきたい」という、
欲(煩悩)が強すぎ、
それが悪い方向へ向わせています。
一方で、
人間関係(ご縁)の円滑・円満な切り方(捨て方)が
分かっておられない方が多く、切る・切られる段階で
人間関係がもめにもめて深刻になって
人生全体が墜ちて行っています。
前は必要不可欠であっても、
これからは要らなくなる人間関係もあります。
そんな人間関係も上手く捨てる必要があろうかと思います。
上手く捨てる方法・・・それは「感謝」だと思います。
今までありがとうございました。と、気持ちに区切りをつけ、
『終わりの式』を取る。
そして、その人のご多幸を思い出す度に祈り続ける。
そんな感じでしょうか。。。?
(当然のことながら、今関係のある方々への感謝は必要不可欠。
感謝を捨て、不平不満ばかりや存在が当たり前だと思い込んで
自らで人間関係不和の種を植え続けている人は多いです)
「持つ」「持てば持つ程良い」という時代から、
「持たない」「本当に必要なものだけを持つのが良い」
という時代に変革を遂げています。
今の時代は、「持つ(所有する・抱え込む)」程、
逆に不幸に墜ちてしまうという時代になっています。
時代というものも、人間のように「バイオリズム」があり、
陰陽を繰り返しています。
そのクロスポイント(変換期)が2000年の時にやって来たようで、
そして今は「持たない」方が良い時代に入っています。
こんな時代でも、お金持ちの人はたくさんいますが、
必要だからお金がたくさん集まってくる・・・という
観点・捉え方もあろうかと思われます。
最近ハタ☆と気づいたのですが、
真に③の神的人間の人は、
そのたましいのレベルが高ければ高い程、
この地球上の最も貧しい・
不幸な境遇に置かれている人を救おうとされます。
そしてその人達を救い上げることにより、
地域や国家、地球や宇宙全体をも救ってゆくのです。
ところが、③の周りに集まる
チョウチョ(②の人間)や
ハエ(①の人間)がいます。
①も②も、③の人間に「あやかりたい」と思って集まって来ます。
だけど、「あやかりたいもの」が①と②の人間は違います。
②の人間が③の人間の下にやって来る理由は、
「自分も③のような人間になりたい」と
心から願っている(仏心がある)からやって来るんです。
で、①の人間は、③の人間が持つあらゆる力(富や権力、名誉など)を
少しでも自分のものにしたいという欲(煩悩)で集まって来ます。
具体例を挙げますと、ある海外の貧困国に
ある物質を寄付し続けている③の人間(仮に「Aさん」)がおり、
そこに集まっている①の人間は
「私は、Aさんの活動に参加しているんです!」と
吹聴しまくり、いかに自分が善い人間か?と装うために
はしたカネを寄付しまくっておられました。
ほんと、以前東京で出会った“根なし草”のおばちゃんは、
見た目は美しく装っていましたが、
吐き気がする程穢れた人間で最悪でした。
自分が善いことをしているということを、
吹聴すればする程、徳(陰徳)が減って行きます。
なぜなら、自分の評価を高める
(つまり自分の利益の為に)
その人は吹聴しているからです。
更に言いますと、
自分の評価・利益の為に、
善いことをしているのです。
だから、徳どころか罪なので、
そのような人は今すぐに
ボランティア(慈善活動)は止めた方がいいです。
ボランティアされている方ではなく、
している方が哀れで、みすぼらしい状態です。
知らずは己自身のみです。
たとえ我々人間は騙せても、
③の人間と、『天』は騙せません。
そんな人間は、慈善活動をやればやる程、
地獄に墜ちて逝くのです。
南無阿弥陀仏。
・・・このような感じで、これからも
いろんな人・もの、そして時代を見極め、
そして切り拓いて参りたいと思いま〜すっ(^0^)☆