雲の如く 空の如く

普段は眼鏡ですが、

今日は東京に行くこともあり、

久しぶりにコンタクトレンズをつけた一日でした。

最近めっきりコンタクトレンズを付ける機会が減りました

・・・っていうか、付けたくなくなっていました。

裸眼で0,1も見えない私。

眼鏡を付けると、0,6〜0,8くらい、

コンタクトレンズでは1,2〜1,5程見えます。

コンタクトレンズの方が圧倒的によく見えますので、

パソコンを操作したり本を読む時は

目がチカチカしてしんどいですので、

必ず眼鏡を付けますが、昔は外出する時は、

コンタクトレンズを付けていました。

が、よく見えますので、ついあれこれとじっくり見て、

観察してしまいます(笑)。

眼鏡や裸眼ではボーとしか見えないもの

(つまり【意識】に入って来ないもの)が

鮮明に見えますと、

『見えなくていいもの・感じなくていいもの』までが観得て来て、

私の意識・心に入って来てしまいます。

例えば町の至るところにある看板。

美味しそうな食べ物に、豪華な生活のワンシーン、

美しい姿カタチをした男女・・・

自己欲求や快楽(煩悩)を刺激し、

はたまた自己嫌悪や不安感、

自己の不完全さをかもし出し

(実はそれは『幻想・虚実』なんですが)、

その看板に掲載される商品を買わせようと、

誘導する【サタン】のように私には観得ます。

ホント、娑婆に溢れる与えられる情報の殆どが、

天使のように見た目は美しく装っていても

実態は【サタン】であり、

娑婆の人間を誘惑し、

悟りとは反対方向の迷いや自己快楽の方に突き落とす、

誘惑者であります。

更にタチが悪いのが、

よく見えるようになった他人が私を見た時の

『視線(気、エネルギー)』が感じるのです。

「あ、今私の顔を見た」とか(笑)。

肌がチクっとする感覚があります。

で、私を見た後の「念(=心の声)」も波動で伝わって来るのです。

同性はまだマシなんですが、

精気や邪気が盛んな異性に見られた時は、

反射的にそいつをニラみつけたり(邪気を本人に打ち返す)、

自己意識をシャットダウンし、自己防衛に走ります。

ほんと「見える」「観得過ぎる」ことが、

精神的に本当にしんどくなり、

それで私はコンタクトレンズをつけるのを止めていました。

しかしながら、今までの『各種修業』の御蔭様を持ちまして、

よく見えるようになっても、【サタン】の誘惑に乗らない、

また情念や穢れのエネルギーが強い人間にやられない

『術』を試行錯誤の末に体得し、

また精神的に更に強靭(強くしなやか)に成ったので、

今後はコンタクトレンズを付けて、

更にパワーアップして、この娑婆を深く観察し、

更なる真理を悟るべく、精進して参る所存です。

最近は【誘惑者】や【邪気が強い人間】が

視線(意識)に入って来ても

『試され事、試練だ。今こそ修業の醍醐味である!』と、

ポジティブに捉えることが出来るようになりました。

そんなコンタクトレンズを付けた目で、

下や真横ではなく、上を見てみました。

そこには、美しい空が拡がっていました。

この空は、裸眼で見ても眼鏡で見ても、

コンタクトレンズで見ても、同じに観得ます。

真に美しいもの(真理)には、裏表が無く、

いつどこで誰が見ても同じものに感じるようです。

人間も同じで、真に美しい・真理を有する人は、いつも、

誰からも評価は同じであります。

(ただし、邪気が強い人間が抱く評価は狂っていますので、対象外です)

空(そら)は、青くて、空気に覆われていますが、

実態は何も無いように見えます。

この空を人間に例えるならば、

【人生そのもの】でしょうか?

人が生まれ死に逝く・・・刹那的有様です。

雲や風(雲から発生する雨や雷を含む)を人間に例えるならば、

私たち人間の心の曇り・・・

人生における出来事(縁)や、出来事から抱く感情・情念でしょうか?

ゆっくり移動しながら、浮かんでは消え、

消えては浮かび、一度として同じ状態ではい、

その有様は、コロコロ変わりゆく、

【心】そのものではないでしょうか。

私は、この美しい空そのままを、

自らの心で映し出すことが出来る、

美しい湖面のような心を持つ人間になりたいと思います。

が、なかなか・・・まだまだ、まだまだデスネ。。。(*_*)笑