「東京人・東京」、雑感

1泊2日で東京に行ってました。

私がいつも東京に行って感じること

(主観的雑感)を

以下に記したいなと思います。

・・・みなさまご承知のように

私は日頃、大阪の八尾(河内)で暮らしています。

東京に暮らす方々とは同じ「日本人」ですが、

私は少し『違い』を感じています。

東京という町は、江戸時代前までは、

日本でどこにでもある地方都市の一つでしたが、

徳川家康が征夷大将軍(権力者)になり、

今で言う『首都』を、

大阪から江戸(東京)に移動させました。

自然発生的に奈良・大和において、

日本の中心が出来て以後、

長い歴史の間、奈良・京都・大阪に

政治や経済の中心があったにも拘わらず、

徳川家康は東京に持って行ったのです。

私はその真の理由は分かりませんが、推測で申しますと、

当時の関西首都圏は既に完成(開墾)され尽くしおり、

新しい国づくりをするにあたり、

過去の古いもの・不必要なもの・邪魔なもの

(既得権益や改革反対の保守派)が

蔓延っていたんだと思われます。

また東京を中心とした

『関東平野(平らなマッサラな土地)』がたくさんあり、

そこを開墾し整備することによって

多くの人たちが集まり、

壮大な首都圏が形成出来ると

考えたのではないでしょうか?

またそれと同時進行で、

各地方から江戸へと行き来しやすいために

街道・海道(交通網)を

整備したのではないでしょうか。

そのような過去の経緯があり、

明治時代に入っても東京が首都であり続け、

鉄道を始めあらゆる産業革命の産物の

おかげさまを頂きながら、

更に東京の規模は増してゆきます。

が、私の祖先の動きを調べますと、

千葉や岡山のの人が大阪に来ています。

どうやら戦後・大阪万博(1970年)くらいまでは、

大阪(関西圏)も、首都圏に並ぶ

かなりの経済力があったようです。

それが崩壊したのが、

新しく主幹産業に成り上がった

自動車産業(東海地区・他地域の発展)と

IT産業(首都圏の発展)、

そして中国を始めアジア諸国の経済発展に伴う、

製造業(関西圏の製造業が

今まで担っていた種類のもの)の

海外移転かと思われます。

バブル崩壊が「パンドラの箱」を開け以後、

引き潮の如く、

海外移転、他地域の躍進・雇用者吸い上げ現象・・・

そして、もしかしたら我々大阪人の

『過信や怠慢な心』もあったかも知れません・・・により、

関西圏の製造業は一部を除き、下降線を辿り続けています。

この傾向は留まるところを知らず、

敏感で苦難に立ち向かう勇敢な経営者は、

何とか生き残るために必死になっておられます。

その一方で、大阪の経営者の一部が、

大阪・関西圏に見切りをつけ、

東京に進出したり、

東京支社や営業所を作っておられます。

そのような感じで大阪は益々下降線です。

これは地球規模の地殻変動のようなもので、

誰にも止められません。

抗ったり、現状に止まる人間・企業は、

時代の潮(流れ)に呑み込まれ

消え逝くのみであります。

しかしながら同じ関西人でも、

京都人は比較的改革・変わることや、

利益をもたらす観光客以外の人間を、

自分たちの内側に入れる気がない

傾向にあるようで、内向的です。

そのあたりが保守的でありますが、

それは長年の歴史の経緯や

狭い盆地に囲まれた風土が、

そこで暮らす人間をそのようにさせており、

そんな風土に合う・適応出来た人間が、

そこにい続けて来た・集まって来たような気がいたします。

それとは対照的に、

大阪人は『日本のラテン系』という感じで、

一つの民族・国家を形成する勢いで

エネルギッシュで外向的な“民族”(?)です。

もともと交易の中心・商都なので、

それでそのように外交的なのかも知れません。

しかも大阪人は、例え下降線を辿っていても、

常に前向きで、そして

常に自分たちが一番や!と

何も根拠が無いのに思い込んでいる傾向にあります(笑)。

京都人とは対照的ですが、

共通するのは

『(大阪・京都人であるという)プライド・自尊心が高い』

ということであり、大阪人はそれを言動で

ガンガン☆アウトプットし、

京都人はそれを頑なに内に秘めています(笑)。

とにかく日本一ラテン系で

いい意味でもわるい意味でも

勢いがある・エネルギーが強いのが

我々大阪人であると思います(更に、笑)♪

私は思いますに、

大阪人と京都人を足して2で割った人間(中庸的)が

一番良い気がしております。

きっと長い歴史の中で、

大阪人と京都人は“お隣同士”として

男女のように補完しあい、

役割分担をして来たのだと思います。

そんな個性(アイデンティティ)を持つ

大阪人の私が東京におりますと、

多くの東京人の『個性の無さ』

『均一さ』に衝撃を受けます。

それが一番分かるのが、電車の中です。

とにかくみなさん『静か』なんです。

この『静かさ』は、実際声を出していない・小声で話す

という状態を指すものでもあるのですが、

魂・心から発する『気(生命エネルギー)』

がとても静かで、細い、薄いんです☆

だから極論で例えますと、

電車の中の東京の方々は、人間ではなく、

長さ2メートル弱の『切り倒された樹木』が縦向きに、

電車に積まれているように感じられます。

とにかく『気』が静かで細くモヤシのようです。

ひどい人は透明人間のようで、

いるのかいないのか分からないです。

例えば、大阪人がギュウギュウに詰められた満員電車だと、

電車内にあらゆる「気」が充満し、

それだけで吐き気がしますが、

東京人が乗る満員電車は、

みなさん気が静かで薄いので、

そんなに苦痛になりません。

満員電車や人が溢れるホームに苛立ち

暴動を起こしそうなのが、大阪人ですが(笑)、

東京人は「しかたがない」と粛々と受け入れ、

苛立ちを始めあらゆる感情を麻痺させたり封印して、

淡々と生きておられます。

首都圏の人口集中により、

自らの個性やアイデンティティを押さえる・殺さないと、

人間関係に波が立ち、円満に生きてゆけないようです。

東京は全国各地から人が集まって来ていますが、

言葉はみなさん『ほぼ同じ』であり、

全国の言葉やイントネーション(抑揚)、

声の高さや大きさが均一化されて、

そのようなほぼ同じ言語を

淡々と話しておられるようです。

大阪人の私は、

そんな均一化された東京独自の事情・習慣は分からず、

(っていうか、お構いなし?)、

正々堂々と大阪弁でまくし立てますが(笑)、

それを「自分らしくて好き」と、

「図々しいしくて嫌い」という評価と

パカッ!と、東京では二極化するようです。

が、大阪では、物事を明瞭にする・はっきりさせる

人間の方が好かれる傾向にあるように思われますが、

東京では自分の意見を主張するよりも、

みんなとの調和を乱さない、

従順な人が評価が高い傾向にあるようですね(!?)。

とにかく私のような

大阪・河内で正々堂々と

ウルサク生きてきた人間にとっては、

東京のように膨脹・密集し過ぎて、

息を潜め息を出し入れするのも

他人の気を使う場所では息苦しくて、

精神的におかしくなり発狂するか

自爆するかどちらかであります(-.-;苦笑)。

ホンマ・・・

飼い主に従順な家畜のような

『おりこうさん』に私は見えてしまいます。

そんなにも“本当の自分”“ありのままの自分”

を押し殺して、人生幸せなんでしょうか。。。?

平時・平和な時は、そのような人種がたくさんいた方が、

より平和で統治しやすいですが、

この国難の時期には、この大多数の従順な人種が、

変革の波を阻止したり、無関心になっており、

変革を興しにくくしているような気がいたしました。

確かに変革を嫌う既得権益で

トクしている闇の権力者からすれば、

大多数の人間を骨抜きにして

疲弊&思考停止させて家畜化し、

自らの生活だけに意識を向けて

貰う方が都合が良いでしょうね。

かつての『明治維新(革命)』を興したのは

江戸の人間ではありません。

地方都市の人間(志士)であります。

江戸には人やカネが集まり、

国難は見えにくいですが、

田舎に行けば行く程にそれに対する

危機感は強く感じます。

江戸だけにいると

「ゆでカエル状態」になります。

人間は中途半端に満足・幸福になると

危機感に対する能力が鈍化してしまうようです。

これは太古の昔から江戸末期、現代に繋がる傾向であります。

変革を興すのは天皇でも権力者

(企業家や政治家)でもありません。

市民・国民であります。

企業、政治に続く、第三の勢力が

我々の国を皆を次のステージへと昇華させるのです。

ここからは私の推測が更に深まりますが、

『東京一極集中の時代』が終わり、

東京から地方へと、

人の流れが一気に逆流し出すのではないか?

と観ております。

地方には過疎化が進んだ結果、

田畑や土地がたくさんあります。

そこをちゃんと手入れをすれば

たくさんの人を養う食物が得られます。

また空気が美しいので、心身が活性化し、

大自然と共に『ありのままの自分』を取り戻し、

生きてゆくことが出来ます。

交通網やITの発展で、

田舎でも都会と密接に関わった

生活が出来るようになりました。

『進化しながら深化してゆく』・・・

つまり、江戸時代以前の本来我々日本人が

持つ価値観に則った生活・人生を、

皆が地方で行い始めるのです。

今までもごく少数派の自然や田舎好きの方々が、

都会から田舎に移住していましたが、

これからの時代、

その流れが一気に加速するというもので、

もしかしましたら『大自然』からの

“罰”や“導き”により、

首都圏に何等かの災害が起こり、

そのような流れにならざるを得ない状況に

なるかも知れませんね・・・ま、これは全くの推測ですが。

とにかく国家戦略上でも、

日本における東京一極集中は、

危険ですので(東京が崩壊すれば日本全体も崩壊するからです)、

我々大阪人が頑張って、

もう一つ首都を作る意気込みで精進したいと

改めて感じました。

【余談】「大阪人なら共感すること間違いなし!大阪あるある」↓

http://kansai-lovers.com/osaka/osaka-aruaru