人間という動物の一つの習性(一種の「本能」)として、
何となく・・・直感的にまた「縁がありそうだ」と思い、
また更にその場の勢いや快楽に導かれ、
人は経営者になったり、
結婚したり人の親になったり・・・
つまり『心構え』が出来ていない間に、
他者の人生を抱え込んだり、
社会にかなりの影響のある立場に立ってしまう時があります。
現在の私の場合、何でも『心構え』をある程度行うことが
物事を興すスタートであり、『肚をくくる』ことが最も重要だと考えますので、
そのような「見切り発車」は致しません。
心構えもないのに、その場の成り行きや感情で、
とんでもない情況に自分でしてしまい、
少し時が経ちまた冷静になってから『しまった!!!』と
大後悔したり歎いたり、責任転嫁したり、
最悪の場合はズルズルと大失敗(倒産や離婚など)になります。
私はかなり保守的・慎重な性格ですので、
そのような系統の失敗は致しませんので、
場当たり的また自他のその場の感情や状況に
流されている人を「哀れで愚かだ」と密かに判断しております。
しかしながら、私のような慎重で保守的過ぎる人間は
失敗も少ないですが、成功も少ないと感じています。
その場のノリ・勢いで起業や結婚をし、
その瞬間の幸福・快楽の度合いが大きい程、
その後に来る、不幸や不快感を感じる度合いは大きいようです。
私は快楽も乏しいですが、不快感も少ない人生を歩んでおります。
(私の場合は、快楽の定義が娑婆の人間とちょっと違うところもあり、
この娑婆で得られる最も最高位の快楽(幸福感)は、
真理に基づいた人生を着実に歩み、自分と自分以外の人や環境・事象と
その真理から得られる幸福感を共有出来ている時であり、
生理的欲求を満たした瞬間ではありません)
この地点で、以後、
2パターンの人間に別れるようです。
①その不幸や不快感に負けて失敗し続けて堕落する人間と、
②失敗に終わらないように、精進(自己努力)をし、
失敗しない・成功するように自分でそちらの方向に
持って行って昇華して行くタイプの人間です。
一度失敗することが、
その人にとって必要なことである場合もありますので、
失敗することが悪いことではありません。
人間(人間=不完全な存在)としてこの娑婆に産み落とされたのですから、
失敗するのが当たり前であり、
人間は成功からよりも失敗からの方が、学べることは多いです。
失敗したくない、迷いたくない、悩みたくない、
答えがすぐ欲しい・・・みなそう願い焦って、そしてもがき苦しみます。
まずは、
「人間は失敗し悩み迷う存在であり、それこそが人生である」
という真実を冷静かつ客観的に把握した上で、
マイナス感情に心囚われることなく、
自らの心の中に絶対的な希望の灯を掲げ続け、
試行錯誤しながら、前向きに歩み続けるしかないと思われます。
そんな人生がやがて、幸福の境地へと自分を
導いてゆくのだと思われます。