皆さまこんにちは。ころころ通信委員のムニュです。
朝夕と日中の寒暖の差が大きいですが、お風邪など引かれてないでしょうか。

ムニュは幼少期に、ミヒャエル・エンデさんという方が書かれた「はてしない物語」という本に挑戦したことがあります。
このお話は、映画化もされ「ネバーエンディングストーリー」という題で何部作か作られました。ムニュはどちらかというと映画の方が印象に残っているのですが、その原作となった「はてしない物語」という本が家の隅っこにありました。あずき色をしていて、表紙に二匹の蛇が尾を噛み合っているエンブレムがある、重厚な布張りの本でした。
実はそのつくりからこの物語のトリックは始まっており、物語を読み始めると、その中でバスチアンという少年が「はてしない物語」という同じつくりの本を見つけ読み始めるという、物語の中で、同じ物語を少年が読み始めるというトリックに入ってゆきます。
その物語は、空想の世界で出来ている「ファンタージェン国」の存亡を巡ったもので、迫りくる「虚無」と闘うためにアトレーユという少年が勇者候補として選ばれます。
試練を受けるためにアトレーユは苦難にあい、やがて最後の試練である「真実の門」の前に立たされます。
それは鏡で出来た門で、そこには「本当の自分の姿」がうつるとされます。
そこに移ったのは、暗い部屋で身をかがめ、じっと本を見つめる少年=バスチアンの姿でした。
おそらくはてしない物語の中で自分を勇者に置き換え、物語に没頭してたであろうバスチアンが、いきなりどんでん返しの様に自分の「素」の姿を思い出し突きつけられる。そしてその「はてしない物語」を読んでいた大勢の不特定多数の読者もまた、うつっていたのは内気で本好きで空想に浸っていた自分が不意打ちの様に我に立ち返ってくるような瞬間かと思われます。
アトレーユはその姿を受け入れ、勇者として虚無と戦いに出ます。そして、バスチアンもまた物語と徐々に同化してさまざまな冒険に出かけます。

このエピソードは、その後ムニュが思春期に入りさまざまな空想の世界に没頭し始めたこと、受験という「現実」に立ち返る際に、自分がその自分が作った物語の中だけで虚勢を張っていたこと、自分の「本当の姿」はまるで小さな虫けらのようだったこと、それを知ってか精神の均衡を崩し病気になり、とても勇者などではなかったことなどを痛烈に突きつけました。
また、物語の黒幕である「虚無」という存在も、空想を重ねすぎた結果心が荒廃し、豊かな幻想の世界を侵食していった、精神病をもじったものではないかと思われます。
やがて長い時間をかけて、自分が虫けらだということも、非力なことも、勇者などではないこともそのままで新たな均衡が生まれると思います。
本の方のラストは、あまり覚えていませんが、バスチアンが大事なことを思いだしたようなものだったと思います。
本当の自分の姿を見て、耐えられ受け入れられる人は果たして居るのか。成長過程において、通過儀礼の様に試されるのかもしれません。
 ムニュ