『辛いけど、幸せ』 『幸せだから、幸せ』

『辛いけど、幸せ』 『幸せだから、幸せ』

喜怒哀楽全てひっくるめて幸せ!

正に、人生の歓喜!

生きている・・・

命、あるからこそ感じことの出来る様々な感情や出来事。

お遍路してるとそんな感情が込み上げて来て、感動する。

言葉には表現しきれない万感の想い・・・それが『人生の歓喜』。

生まれて来た赤ちゃんがワンワン泣いているあの心境は、

これからの人生で体験する様々な喜怒哀楽への複雑な感情を含めた、

『人生の歓喜』そのものなんだと感じた。

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歩きであれ車であれバスであれ、

四国遍路は生まれ変わりの旅であり、

元(もと)に還る旅(道)である。

人間は螺旋を描き、陰陽・一進一退を繰り返しながら

ゆっくりと上に高まり、下に深まってゆく。

季節も突然春から秋になったりしないし、

暑くなったり寒くなったりしながら前に進んでゆく。

『今私がここにいることは、当たり前ではなく、

奇跡なのかも知れない』

『私にはまだまだ欲が多い。

人間に必要なものが必要な時に全て与えられている。

全ては因果応報の世界である。

娑婆は『取った取られたの損得の世界』。

お四国は『与えるか頂くかの善悪な世界』。

人間が生きていく上で損得は絶対必要。

でないと生きて行けない。とくに経営者。

きれいごとや与えるばかりでは生きていけない。

しかしながら、人生の根本にあるのは善悪(徳)であり、

損得ではないことは間違いのない事実。

自分や自分たちの損得だけに生きる人間は、

やがて世間に干され他殺されるか自滅する。

要は娑婆においては、損得と善悪とのバランス、

調和が必要になる。

損得(陽)もしくは善悪(陰)だけでなく、

この娑婆では陰陽のバランスを保つことや、

陰陽双方の要素を兼ね備えた状態【中庸】が

修業のプロセスであり、

その先に【悟りの境地】〜真の幸福感〜が存在するんだと感じる。

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『私の車が向かう【その先】には何があるのか?』

そんなことをふっと感じる。

自分が何もないと思えば、何もないし、

何かあると思えば、何かある。

人生って、結局のところ、そんなものなのかも知れない。

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お寺の入口のベンチに座っている地元のおばあちゃんから、

草餅のお接待を頂いた。

家で草餅をたくさん作って、週末になるとこうやって

このお寺の入口のベンチに座っておられるようだった。

思わず

『草もち 感涙』

“愛”のおせったい。

私もこんな布施をしなければならない・・・と、じわーっと感じる。

私も、きっとこのおばあさんも、1000万円とかは寄附できない。

だけど気持ちは精一杯、

いつも誰かに、何かをおせったい。

こんなおばあさんに私もなりたいなぁ。