「悟りとは」つまり、
「自分のありのまま【あり方】を知ること」である・・・
ということに気づけたのが、
今回の四国遍路での最大の収穫です。
「自分のあるべき姿」は、
四国遍路道のような修行の道上に
転がっているものではなく、
また人生の時間の上に転がっているものでもなく・・・
実は、もう既に、
「自分の心の中に存在する」のです。
ただ、それを心の中から探り当てるための
最も手っ取り早い方法が、
この四国遍路のような荒行(日本古来の修行の道)である訳です。
この修業の道が人間の本質・核心的部分を時空を越えて
貫き通している・的を得ているからこそ、
1200年もの間、この日本で継承されているのです。
偽物・その時代時代の人しか使えないものであれば、
とっくの昔に消えて無くなっています。
人間にとっても最も重要なものである『時間』
つまり命、そのものをかけて、
命を捨て身も心もその荒行に投身する意気込みで、
悟る・・・つまり己を知ることに全身全霊を捧げる。
私たちにとって最も大事とされている
自らの命をも捨てる!という気概で持って
荒行に身を投じますと、「全て」が観え、「全て」が手に入って参ります。
その全てとは、「永遠の幸福(つまり悟り)」というものでしょうか。。。
(だけど、元の娑婆の生活・心境に戻りますと、すぐ見えなくなり、
また見失ってしまいます^^;笑)
娑婆の世界は損得・煩悩の“雲”があります。
別の名前で表現するならば、
自分自身の主観・価値観、そして我儘、
自分だけが幸せになろうとする邪心であります。
煩悩を、喜んで捨てなければ、
真の悟りに目覚めて来ません。
時々、自分の快楽・幸福のために、
世のため人のための慈善活動を積極的に
行っている人間を見かけますが、
そんな人間は見透かされ、徳どころか逆に罪!
自らの地獄行きの墓穴を掘り続けております。
自己の快楽・幸福と、自分以外の他者全ての快楽・幸福を
融合調和させ、同時進行で行って行くのが
真の人間の徳積み活動なのではないでしょうか。
ま、とにかく無理矢理ではなく、喜んでさっと
煩悩を捨てなければ、得ることが出来ない
捨我得全(我を捨てて得られる全ての幸福)の絶対境の境地・・・
そこには不足不満や責め心、妬みひがみ、
悲観・絶望・期待・マイナス感情・・・これらが一先なくて、
欠けたところがない、真の幸福に満たされた世界。
それが所謂『極楽浄土』であり、悟りの境地なんだと思います。
全てを捨てるという覚悟、
真の人生を歩む覚悟、そして
真に生きる魂への覚醒が
人間が目指すべき最高位の『神人一致』の究極の人生。
この1200年という悠久の歴史が紡ぐ
この遍路道に生かされて、感動で胸がいっぱい。
これからも四国道の歴史を紡ぐ一本の糸として、
微力ながら貢献して参ります。