「越冬の 老婆が一人 里の花」 〜死から生をチョット考えてみる〜

冬のマイ畑で一句。。。

「越冬の 老婆が一人 里の花」

里山風景の侘しさと豊かさ両方を

詠んでみましたぁ〜(^^)♪

ちなみに写真の中にいる“老婆”は

私の母親【愛称:オカン】デス。

“老婆”なーんて表現したら、

オカンにシバかれそうデスガ(>_<)★笑 あくまで我がオカンは老婆の『シンボル(象徴)』であり、 実際は、まだ完璧なる老婆ではゴザイマセン☆ にしましても、親とはもうかれこれ38年・・・ お付き合いさせて頂いておりますが、 親も私も同じだけ年をとりました。。。(当たり前ですが^^;) 特に自分の写真を観たらそう思います(しみじみ)。 月日(年齢)を重ねることもまた、 侘しさと豊かさ、両面があるようですね(^^)。 週末からまた“お四国”に参りますので、 余計にこのような、切ないことを考えます。。。笑 ・・・人の人生の間(あいだ)は おのおのの“バックボーン”に基づき、 誰一人として同じ人生は存在しないのですが、 ただ2点のみ、古今東西全員【同じもの】があります。 それは 「母親のおなかの中を通してこの娑婆にやって来る」 ということと、 「いつか必ず死んで、この娑婆から去る」ということです。 つまり、人生のスタートとゴールだけは全員同じであります。 例えばマラソンにスタート地点とゴール地点があるように、 人間の人生もスタートからゴールまで、【一本の道】であります。 人間の人生は途中一度も断絶することなく、 進んで行き、やがて終わりを迎えます。 生まれた時は赤ちゃんでしたし、 今更ふり返ったところで、 過去の事実や選択はどうしようも変えられませんが、 自分自身の人生のゴール地点〜 つまり【死】というものに関しては、 それをどのように成すべきか?という、 人生最大且つ永遠の課題は、 これからの自分自身の価値観や努力(精進)によって どうにでも変えられる・よくも悪くもすることが 出来ると思われます。 私が【死】の話しを致しますと、 「まだまだ若いのに、考えるのは早い」 「縁起が悪い」 「そんな事よりも、今を楽しく、 よりよく生きることを考えた方がいい」 というお声が聞こえて参ります。 しかしながら、先程も申し上げましたように、 今歩いている、私自身のこの人生と【死】は 別々のところに存在してなくて、一本の道で繋がっている・・・ つまり【一つのもの】であります。 従いまして、生きていることだけを考えるとか、 死ぬことは一切考えないというのは 【片手落ち状態】のような気がしております。 私は【死】というものを、 感情的&悲観的&絶望的に捉え且つ忌み嫌い、 可能な限り避け通す訳ではなく、 客観的且つ冷静に・・・ “ありのまま”に【死】というものを観察し、 その真髄に近づくべく、 虚心坦懐に受け止めるべく日々努めております。 そして縁深い方々、 そして私自身の人生がいつか生から死に変わったとしても、 その時点で後悔しない生き方〜一日一生〜で 過ごしたいなと思っています(^^)。 私は【死】という、 人生のゴール地点に、 自分自身がどのような状態や心境(境地)に達してたいのか?を 自問自答しながら、その手前にある、 今のあるべき姿・今の生き方を探求し、 曲がりなりにですが、実践しようと努力しています。 決して今だけの儚い自己満足や快楽(罪)には流されないように 自制の努力をしております (が、実際はかなり感情的に流されております・(>_<)アカンやん〜 修行が全然たりまへん・笑)。 ・・・生と死は、正に『オセロの裏表』のような関係であり、 所謂“カミ”というような人間の思惟を越えた絶対的な存在が、 私たち人間の生命を左右すべく、 オセロ板の上で、白黒(生と死)を ひっくり返しているような感じがいたします。 人生の途中は自力本願(自己努力)で、 どうにか出来ることもありますが、 人生のスタートとゴールは人間の力だけでは、 どうしようも出来ません。 子供が欲しい夫婦がいくらあらゆる努力をしても、 またいくら死にたくない・死んで欲しくないと努力しても、 人間の力ではどうしようも出来ないのです。 そのような人間の意思や努力ではどうしようも出来ない部分 【他力本願的部分】の存在を認めた上で、 その他力本願(天、カミ)を味方につけたい・・・と、 【絶対的存在】を信じて仰ぐことが 【信仰】というものの根本的要素であるような気がしております。 その絶対的存在は、この娑婆においては “新旧洋邦”・・・多種多様な体裁が成されており、 我が国日本では「宗教法人」としての 組織形態を成しているのがほとんどのようです。 どんな宗教(法人)であれ、 その宗教が祭っている絶対的存在が、 唯一無二の真理・真実へと繋がっていれば、 何をどのように信仰していても問題ないのですが、 誰か(カミではなく、ヒト)の邪心に繋がっている場合は【邪教】であり、 その場合は、その宗教を信じている方々は、 永遠に真理・真実(正しい道)に辿り着くことが出来ず、 死んだ時も、そしてあの世でも苦しみ続けることになるようですね。。。?