四国遍路2015冬 つれづれ日記 【その2】

「徳島自動車道」にて 

〜人は知らず知らずのうちに罪を作り続けている〜

【写真】71番弥谷寺・弘法大師像

徳島自動車道は、1車線ずつしかない。

前に遅い車がいると、どんどん車がつっかえて来る。

このような車を運転している人間は、

フロントミラーを見て

「ああ、車がつまって来たから、

スピード上げなければ〜」という意識が無い。

流れを読む・空気を読む能力が欠如しています。

私はこの手の能力が欠如している人間は

出来る限り付き合わないし、仲間に入れません。

何故かと申しますと、

社会的生活を営む上で、そのような能力が欠如していると、

知らず知らずのうちに組織や社会の輪が乱れるからです。

時々、追い越し車線があるので、

そこで遅い車を追い越します。

その際、必ず

「遅い車は、どのような人が運転しているのか?」

観察しています。

以下の4つのパターンがあると私は観ております。

パターン①:お年寄り

(身体能力&知能の低下・老化による流れを読む能力の欠如)

パターン②:主婦

(普段運転しない、または運転能力の低い女性。

また普段ごく限られた狭いコミュニティの中でしか生きていない為に、

各種様々なコニュニティ・状況に対応出来る能力に乏しい)

パターン③:意識が一つに囚われている人間

何か大きな悩み事や、今考えないといけないことを考えているために、

運転が疎かになっている

パターン④:意識が散漫している人間

助手的にくどき落としたい女性がおり、その人との会話に熱中している男性や、

携帯電話で会話している人など、運転に対する意識が散漫している。

これは運転中ではなくって、

世間一般に言えることだと思われます。

私は常に、多くのサンプル&事例を集め、客観的に分析をし、

上記のようなカテゴリー化を行い、

自らの人間関係の構築や円滑化、人生に活かしております。

ただ単に、「前の遅い車、ムカつく〜〜〜!」って

苛立って終わりにしたらもったいないと思ってます(笑)。

このパターン①〜④の人たちに共通することは、

本人たちは、別に

後ろにいる人達のイライラさせたり、

時間(命)を奪ったり(遅い車が1台いるだけで、

その後ろ車に乗っている人全員が

目的地に到達する時間【命】を奪っているんです。

そのような意識が、遅い車のドライバーには存在しておりません)

・・・意図的に悪意を持って

やっている訳ではないんですよね。

だけど、ここでポイントなのが、

悪気があって作為があってやってなくても、

【罪】は【罪】なんですよね。

私は思いますに、私の人生の中においても、

悪意や作為があって意図的に自分が認識して

やっている【罪】よりも、

こんな感じで、自分だけが知らずのうちに

どんどん作り続けている【罪】の方が

圧倒的に多いのではないか。。。?ということです。

なんでも、『万象我師』であり、

人のフリ見て我がフリ直せです。

肝に銘じたいと思います。