「おへんろの駅 こくぶ」
【写真:以前、歩き遍路の時に寄った時に頂いた
折り紙で作られた、お地蔵さんのお守り。
今でも大切に栞に挟んでおります ^人^ 】
80番国分寺の山門側にあります、
精神障がい者の方々が運営する
作業所(喫茶店&お食事処)に寄って来ました。
2年ほど前、
歩き遍路の時にたまたま立ち寄ったこの場所。
その時の出会いや気づきが忘れられず、
今回、お伺いさせていただきました。
ここでは障がい者の方々が
接客をし、お料理を作ってくださいます。
確かに、接客のやり取りに滞りがあったり、
お料理(今回はコーヒー)が来るのが遅かったりします。
だけど、何故か心地よいのです。
建物は古いですよ。
だけど、何か落ち着く。。。居場所があるって感じ。
そして深く、深く考えさせられます。
所謂健常者である私たちが日々追求する
【幸せ】とは一体何だろうか?と、
真っ正面から思い入ってしまう。。。
![](/img/u43837/FI3984622_0E.jpg)
そりゃー、みなさん人間ですから、
いろいろ悩みや苦労があるかと思います。
思うように話せなかったり、身体が動かせなかったり、
就職出来なかったり・・・。
だけど、ここにおりますと、
果たして、所謂障がい者の方々って、
=(イコール)全員不幸なのでしょうか?
逆の言い方をしますと、
健常者=全員幸せなのでしょうか?!
私は、見方によれば、
障がい者の方々の方が、幸福感で満たされているように感じます。
一所懸命朝から晩まで働き、心身を動かしまくり、
お金も稼いで自立している健常者たち。
だけど、私達健常者たちって、幸福感で満たされているのでしょうか?
障がい者の方々は、
作業所での活動やボランティア、お遍路さんへのお接待を通して、
少しでも社会に貢献出来ることが嬉しい、幸せ!と思っておられるようです。
私からすれば、量的に少しであります。
仕事しているのが当たり前
就職しているのが当たり前
自由に早く動く肉体が当たり前
自由に言葉を操りコミュニケーション出来るのが当たり前
ボランティアするのが当たり前
お接待するのが当たり前
お遍路するのが当たり前
![](/img/u43837/FI3984622_1E.jpg)
・・・という『当たり前』という名前の心の病に
私達健常者はかかり、
その病が深ければ深い程、
真の幸福感【人生の歓喜】からは遠ざかってしまいます。
次々とカーナビにお寺の位置を入れ、
次々とマッハでお遍路して行く自分が情けなくなりました。
なんでこんなに私は急いでるんやろう。。。?
もちろん、日常生活でも『何か』に追われるように
急いでいる訳です。
この場所にいる方々は、私達よりも社会的困難が多く・・・
そして天性や後天的感性によって、
もう既に真理を掴んでいるように感じました。
だから、私のようにわざわざ厳しいお遍路修行をしなくてもいいし、
娑婆であれこれ苦労する必要も無いのかも知れないと感じました。
(実際はどうかは分かりませんが、、、)
私たちよりもケタ違いの苦難や差別を受け、息を潜め生きておられる。
だけどそんな中でも一生懸命生きている・・・
私なんか散々恵まれているのに、もっともっとと急いで回っている。
ほんと我ながら、まだまだやな。。。と実感。
一見古い建物で、接客もどうしてもスローな感じですが、
だけど、ずっといたくなる場所・・・
その理由は、そこにおられる『人』なんだと分かりました。
純粋むくな方々と同じ空間にいるだけで私は慈愛に包まれ、
神のご加護に私は感動の涙を流す。
まさに癒し。幸福への近道。
「このような人たち(心境)になりなさいよ」と
静かに言われているように感じました。
私は確実に導かれている、このお遍路の道に。。。
![](/img/u43837/FI3984622_2E.jpg)