「たくさんの方々にお経を聴いて頂く?」
いよいよ本格的な雨と霧の風景になった、
山寺(82番根香寺)。午後4時半。。。
薄暗い境内にいる参拝者は私のみ。
本堂で一人お経唱えていますと、
ふっ・・・と“誰か”が静かに聞いているという【気配】を感じた。
その気配は明らかに“一人”ではない・・・
たくさん・・・
ざっと千人?とにかくたくさん。
っていうか、明らかに“人間”ではない。
だって、人影が無い。
だけど薄っすらとだけど確実に【気配】だけして
・・・だけど、姿形は無い。
みなさん最初は私のお経をじーっと静かに聞いていたのですが、
だんだん「呟き声」のようなものが聞えてきまして・・・
「ええなー」
「うれしいなー」
「その通りやー」とニコニコと
相槌を打ってるいる感じですので、
こちら側(私)もだんだんテンションが上がって来まして
エ〜〜〜声出してで読経っ(笑)。
気分は観衆にノセられて益々ハリ切る大道芸人です(更に、笑)。
そうか・・・☆
肉体の無い魂は口が無いから、
お経を読みたくても読めないねんな。
お線香の香りが好きでも、
手がないから燈せないねんな。
そのような言葉【念】が耳(五感)ではなく、
別の感覚器官から、
しんみりと聞こえて来た感じがしました
・・・いやはや。
イヨイヨよしこちゃんもオカシクなって参りました(笑)。
夜に向かうお寺に一人いるのは、
あまりいい感じがしません(^^;)。
お化けとか出て来る感じがします。
だけど、その場所や集まる足の無い人たち?(魂)を避けたり、
「怖い」と逃げると追っかけて来たり、
悲しまれるようです。
“彼ら”も私たち人間と同じ魂を持つ存在であり、
私たち人間との違いは、
肉体があるかないかだけのようで、
本質は同じのようで、
好きな音や香りを楽しんで、満たされたいようです。
だから人間と同じ扱いで
『先手の挨拶(先に心を開ける)』をすると、
どんな場所であっても、
どんな魂であっても仲良く出来るようです。
生身の人間も、魂だけの存在もみんな
【念】というものを常に抱いており、
ある条件が揃い、
自らの感覚・意識のチャンネルの次元転換すると、
肉体の無い魂の【念(想い)】や、
森羅万象の【念】が観得来るようです。
以上が、私が山寺で感じたウサンクサ〜イ体験です(^_^;)笑♪