私の尊敬する大阿闍梨の塩沼亮潤師の本に

下記のように書かれておりました。

「私たちの人生も、心という畑を耕し、

よい心を成長させなければなりません。

そして、人生の学びという肥料をたくさんやり、

常にきれいな畑であり続けるために、

必要のないものは捨てなければなりません。

そして常にきれいな心を保ち、たくさんの実りを得て、

みなさんに喜んでいただけるよう努力を

していかなければならないと思います。」

・・・マイ畑のある場所は、大阪平野が見下ろせる、

標高百数十メールのところにあり、

神立(こうだち)という旧村の東端・つまり

村の最も標高が高い場所にあります。

その畑のすぐ下から所狭しと家が斜面に

へばりついています。

で、その畑のすぐ上には神社があります。

その神社より上には家がないようです。

このような感じで、神立という昔ながらの集落は、

神様が鎮まる場所より上には

人間の住家(居場所)は作らなかったらしく、

神社より上は【聖域】として

また野性動物たちの住家として保全し、

線引きをしていたようです。

このような感じで、

昔の人たちの素晴らしい智恵(共存共栄の精神)を感じながら、

せっせと八尾の里山風景の中、畑仕事をしていました。

最近のあったかさで、いちごに実が出来ていて

ちょっと赤くなっていたのは驚きでした☆

夏程ではありませんが、冬も雑草は伸びて来ます。

秋に植えたタマネギが成長するのと同時に

雑草も成長して来たので、せっせと抜いていました。

ほんと、こんな感じで私たちの心の中も、

生きてますとちょっとずつ、

【我儘・煩悩】という名前の雑草が生えて来るようです。

人間として生きている限り、これは逃れられない現実のようです。

もしかしたら人間を人間としてたらしめているのが

コレなのかも知れませんね。

一連の畑の作業(要素)を、人生に例えるならば、

イチゴやタマネギなどの作物自体が【人生の成果物】であり、

作物が育つ“畝(土壌)”が「人間の肉体」、

“肥料”が学び(知識、経験、智恵)、

“水”が愛(人間関係、いやし)、

“風”は人間の気(意識や思考、願望)、

そして“空(そら、空気)”は人間の心&たましい、

そのもののような気がいたします。

こんな感じで、畑一つにしてもシンプルに、

人間としてのあるべき姿の具現化が成され、

常に我々人間は“天”から試されており、

最高に素晴らしい作物という名前の【成果物】を得る為に、

常に土・肥料・水・風(気)・空を

ベストなアンバイになるように努力しなければなりません。

これら5つのうち、どれか1つがダウンしても、

収穫高はガクン!と落ちるようですし、

作物の免疫力が落ち、

害虫に大ダメージをくらったりするようです。

【人生の成果物】とは、物質的なものだけではありません。

物心両方へ幸福感を味わえるもの

(人間関係、事象、環境など)全てです。

人生において心の畑に雑草があまり無く、

常にあらゆる作物の収穫高が高い人は、

その作物を多くの方々にたくさん施すことが出来、

それがまた更に多くの喜びという名前の

幸福として還って来るのです。

私は自らの畑での修業を通して、

人間としてのあるべき姿を探求し続けています。

まさに畑道(はたけどう)?!という道ですね(笑)。

常に奥や裏、常に先を観、

物事の本質を直観的に見通せる術と、

全てを“大肯定”して受け入れられる魂の器、

両方を日々の修業・鍛練により、

修得していきたいです。

この術と器さえ修得出来れば、

私の目指す【ありのままの私】になれそうな気がいたしております。

それを阻むのも己。敵は内に在り。

そしてそれを成し遂げられるのも己のみであります。

明日からは、飛行機で一気に南下し、

南の島に篭り、

己自身を見つめなおして参ります(%笑う女%)(%王冠%)