先日、ある勉強会で、

「十牛図(じゅうぎゅうず)」を知りました。

とっても分かりやすく、感動的でしたので、

ご紹介させていただきますっ(%笑う女%)(%晴れ%)

この図(絵)は、中国の禅宗において

「本来の面目(=真の自己)」を牛になぞらえ、

禅の修行のレベルや悟りの境地を

「自分の所から逃げだした牛を、連れ戻して飼いならす過程」に例えて

10段階(10枚の絵)に分け

分かり易く絵で描いて説明されています。

とっても分かりやすいホームページを見つけましたので、

ここでご紹介させていただきます(%ニコ女%)(%星%)

http://www.tees.ne.jp/~houjuzan/jugyuzu01.html

<十牛図は以下の十枚の図からなる>

(※ここで牛は人の心の象徴とされる。

またあるいは、牛を悟り、童子を修行者と見立てる)

【第一段階】尋牛 (じんぎゅう)

自分の元から逃げた牛を捜そうと志すこと。

悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。

【第二段階】見跡 (けんせき)

牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。 

【第三段階】見牛 (けんぎゅう)

牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。

【第四段階】得牛 (とくぎゅう)

力づくで牛をつかまえること。

何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。

【第五段階】牧牛 (ぼくぎゅう)

牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。

【第六段階】騎牛帰家 (きぎゅうきか)

牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。

【第七段階】忘牛存人 (ぼうぎゅうぞんにん)

家にもどり牛のことも忘れること。

悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。

【第八段階】人牛倶忘 (にんぎゅうぐぼう)

すべてが忘れさられ、無に帰一すること。

悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。

【第九段階】返本還源 (へんぽんげんげん)

原初の自然の美しさがあらわれてくること。

悟りとはこのような自然の中にあることを表す。

【第十・最終段階】入鄽垂手 (にってんすいしゅ)

まちへ...

悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、

別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。