教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」 内田良より その5

不審者が暴行目的で学校に入ってくることを
歓迎する人はいない
一方、運動会で巨大な組体操が繰り広げられることは
歓迎され、多くの人が感動の涙を流すだろう

両者には共通点がある。それは、いずれも子どもの身体が
危険にさらされているということである
けれども、不審者の危険は敏感に察知されるが
組体操の危険は察知されない
それどころか、歓声がわき感激の拍手が高鳴る

その差はどこにあるのか。その答えは「教育」にあった
不審者の侵入を「教育」という人は誰もいない。
だが、巨大な組体操は立派な「教育」活動とされる
「教育」というお墨付きがあるだけで、私たちは途端に
子どもの身体に迫りくる危険を見過ごしてしまう。

子どもから教員に目を転じてみよう
土日も出勤させて若い社員を使い潰していく企業を
私たちは「ブラック企業」と呼んで、問題視する
だが、部活動の指導のために若手教員が無給に近い状況で
毎週土曜日に出勤していても、それはブラックとは呼ばれず
いっこうに社会問題にはならない。それどころか
土日の部活動を取りやめにしようものなら
保護者からクレームが来る

こうした事態が生まれるのも、部活動とはすなわち
「教育」だからであった。
企業に使い潰されるのは問題だが
学校に使い潰されるのは、子どもの「教育」のためだから
仕方がないのだ。こうして、教員の心身に迫りくる
危険は見過ごされていく

教育が善きものであるばかりに、そこで子どもや教員の
リスクが見落とされてしまう。しかもそのリスクは
教育関係者のみならず、保護者を含めた私たち
市民全体が見落としているものでもあった

<ラッパスイセンも寒さに強いですね>