「昭和十一年完成」 〜親子孫三世代で “渡り初め”〜

昨晩、母親と雑談をしており・・・

その中で、先日お伺いした

備中高梁(びっちゅうたかはし)のことが話題になりました。

おばあちゃん(母方の)は、

備中高梁(現在の岡山県高梁市)出身で、

おばあちゃんの実家のもよりの駅は、

備中高梁駅よりも一つ岡山寄り・

「備中広瀬駅」という無人の駅です。

その駅から高梁川を渡り、どんどん山の中に入ると、

おばあちゃんの実家があります。

(先日も報告させていただきましたが、

今もその実家が残っており、

現在はおばあちゃんの弟嫁が住んでいます)

先月、そのおばあちゃんの実家に行った時は、

昭和十一年に完成したという、

赤いレトロな橋は、老朽化のため、

もう完全に取り壊されていて、

数百メートル南に新しい橋が出来ていました。

完全に無くなった橋の風景を観た瞬間、

おばあちゃんの「みたま」が乗り移ったのか。。。?

『ふるさとの風景』がまた一つ無くなってしまったと思い、

ワンワンと大泣きしたい気分になりました。

・・・約4年前にこの地に訪れた時は、

まだこのレトロでステキな橋が存在しており、

新しい橋の基礎を作り始めていた状態でした。

(このブログに掲載している写真3枚は、この4年前のものです)

母親曰く・・・

「おばあちゃんが言ってたけど、

この鉄橋が出来た時・・・

親子孫三世代が揃っている村の人たちで

『渡り初め』をしたらしく、

おばあちゃんは、自分の姉弟・両親・祖父母と一緒に

渡ったって言っていた」

・・・そ、そうなんやぁ。。。☆

あのレトロな・・・

ほんの数年前まで残っていた鉄橋の

最初の瞬間に、そんな感動の物語があったとは。。。!

三世代揃っている家族が渡り初めする人として選ばれたということは、

きっと、

「三世代・・・いやそれ以上・・・長きに渡ってこの橋が長持ちしますように」

という“願掛け(願い)”を、当時の地域の方々は、されたのかも知れませんね。

もう今はこの鉄橋も無いし、昭和11年の「渡り初め」で

この鉄橋を渡った方々の殆どが

もうこの世にはおられないかと思いますが、

私の脳裏には、その昭和11年の風景が

綺麗なカラーの風景として鮮烈にイメージすることが出来ます。

これは私・・・ではなくって、

今から18年程前に亡くなった、

おばあちゃんの人生の思い出ですが、

チョット違う角度での、孫である私の

人生の一つの思い出として、

この鉄橋「玉川橋」のことは、

生涯、忘れないでおこうと思いました。

・・・ほんと、「橋」って、三世代(100年くらい?)の人たち

みんなの想いを運んだり繋げたり・・・紡いでゆく・・・

いろんな人にとって、出合いの橋であり、

仕合わせ(幸せ)の橋やったんやぁ・・・って

今更ながら、感動、また感動でした。。。(^人^)☆

そして、日頃何気なしに渡っている

瀬戸&明石海峡大橋レベルの大きな橋から、

ご近所の細い川に架かっている小さな橋まで

どの橋に対しても、感謝の念が深まったように感じました。。。

どなたかのブログに、この鉄橋「玉川橋」のことが

詳しく掲載されていました↓

http://hardcandy.exblog.jp/17175815/

ほんと、ステキな情報が掲載されているブログで・・・

とってもいい世の中になりましたねぇ(この情報化・IT社会、サマサマ〜 ^人^♪)