「待つ」という、敢えて何もしないという努力

最近、「待つ」という努力(一種の忍耐)の必要性が

だんだんと分かるようになって来ました。

日々自然の中で、畑仕事をしておりますと、

【時期】というものが存在するということが

明確に観得て参りました。

つまり、いくら正しいことであっても

【時期】が間違っていたら、

それが正しくないということです。

例えば、タマネギが欲しいと思えば晩夏に畝・土づくりを行い、

秋に種や苗を植えないと、5月くらいに収穫出来ません。

人間の都合で、時期(季節)をずらしたり出来ないのです。

秋にソメイヨシノを満開には出来ないのです。

【待つ】という忍耐の時期は、

季節で例えると【冬の時代】です。

人間は自然のまた地球の一部であります。

決して支配者ではありません。

一部だからこそ、春夏秋冬の法則に違(たが)う存在ではないのです。

春夏秋冬全てに意味があり、存在するのです。

その自然な流れ・バイオリズムに抗ったり、憂え、

煩悩(自己中心的なとらまえ方)に心が囚われ

我が儘な言動を繰り返すことが、

自らの人生を自滅へと導くのです。

これは自然相手の畑(第一次産業)だけではなくって、

人生において全てに当てはまる

自然界(娑婆)の法則なんだと感じます。