今日はナイター練習でした!!

昼間は各中学校で卒業式が行われました。それぞれがそれぞれの思いで卒業を迎えた事と思います。どれだけ良かったと言えるか?は現役でがんばる1,2年生が『今』どれだけがんばっているか?の数で決まります。何の苦労もしていない人間は感動をする事はありません。今日、練習の終わりに1,2年生に卒業式で感動した人??と聞くと二人だけでした。もちろん自分の学年、自分の事ではないから・・・・と言いたいのでしょうが、そうやって誰かの節目でも感動出来るような人間に育ってほしいと思います。それが出来るかどうか?は自分がどれだけ周りの為に働きかけが出来ているか?だと思います。人に興味がないと感動をする事はありません。人は人がいるからこそ感動をするし、そうなるようにこの毎日の時間をもっと『有意義』に過ごしていこう!という事を話しました。

冬が戻ってきたような寒さの一日でしたが元気にがんばってもらいました!!

自分が指導者を始めて最初の頃は特に間違っていたと後で気づかされたのは、

手段が目的になっている

という事でした。本来手段でなければならない事が目的と混在する事によって自分自身ががんばっている意味を見失っている事が多くあります。自分はこのファルコではこれから先の人生をうまく生きていける為の準備期間として、考え方の土台を作りたいと思っています。それが『目的』であり、サッカーは『手段』です。でも、選手はサッカーで勝つ事を目的に思っている子がいます。だからおかしくなるのです。元々サッカーを人に自慢出来るような自信を持った選手ばかりが集まってくるチームでもなければ個々でもありません。そういう中で『クラブチームだから』なんて理由で勝たないといけないとか、勝つだけに喜びを感じるような選手が増えています。もちろん勝てばうれしいのは誰も同じです。でも、それを目的にしてしまうと肝心な『育てるべき中身』がスカスカになる。やられないようにクリアしろ!ファールしてでも止めろ!なんて言葉が出たらもうそれは育成ではありません。指導者でもありません。

そんな事をして勝つ事を目的にやるなんて一人の人間が育つ事とは真逆になる事をしてはいけないのです。綺麗事とかではなく、正当な事です。だから逆に言えば勝てていない、結果が出ないのは『人が育っていないから』なんです。サッカーがうまい、下手ではないのです。

だから自分はサッカーを使って人が考える、感じる、気付く、動く、感謝をする、される人間にしたいと思っているのです。その事も選手には伝えました。

そうなったチームは自然と結果も出ます。技術は『これが足りないからつけろ』と言われてつけるのではなく、『仲間を助けたいのにこれが足りない』と自分が自覚してつけるものです。そういう考え方で各自が努力をすればチームが強くなるのは当たり前なのです。この発想に目が向かない、気が向かないから、『嫌いな勉強は出来ません』とテストの結果も順位も悪いという現実・・・。

勉強をどうしてしないといけないのか?
どうすれば出来るようになるのか?
何が苦手なのか?
どの教科のどの部分なのか?

など、きちんと自分を分析すればやるべき事も見つかるのです。今チームでは『分からないからやらない』という選手をなくそうとみんなでがんばっている所です。分からないだけで終わるのではなく、やってみようとがんばってみる事。それを増やそうとしています!

自分の技術がないから、自分の体力がないから、能力がないから???
だから、自分のしたい事しかしないのですか???
そんなの余計におかしい。だったら尚更、周りの為に何が出来るか?を考えるべきです。ファルコは一人一人が甘え過ぎです。常に誰かが、何かをやってくれると期待するばかりで、期待はするくせに自分は期待に応えようともしない。期待をするばかりの人間がとにかく多い。だからパスも繋がらないって事をそろそろ分かってもらいたい。

目的がズレているから正しい努力が出来ない。

当たり前の基準を高めたいと言ってた君達はどこに行ったのですか?それが目的ではないのですか?

きちんと自分達の足元をもう一度見直しましょう!!