桜が満開です♪

良い天気に恵まれた今日も各地で桜は満開、見頃を迎えています!!そういう中でこのファルコも立ち上げから12年を迎え、新入生も元気に活動をスタートしています。

そんな時だからこそ敢えてこのファルコがどういう経緯でスタートしたのか?を伝えていきたいと思います。。。。

元々自分はこの八千代の地で育ち、小学校の5年生の時に現在の八千代少年サッカークラブが誕生しました。その時に立ち上げてくださったのが2年前までこのファルコで監督をしてくださった市位さんと草別さんでした。どちらも八千代の地にサッカーを広めたい、サッカーをしたい子供達を助けてあげたい、そういう気持ちだけでボランティアコーチとして仕事を持ちながら指導をしてくださったのです。当初はサッカー人気も少なく、学校ではサッカーで遊ぶ子もいない中、自分はサッカーが大好きですぐに入団しました。同級生は4名しかいなくて試合をするのも下の学年と一緒にしなければならない状態でした。ですが、そんな事よりも『サッカーが、試合が出来る』という喜びのほうが何倍も強く、本当に楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。そんな自分達も小学生を卒業し、中学生になり、学校には部活があったのですが部活は典型的な形・・・顧問の先生はサッカーを知らない先生で、部内には上下関係の塊。1年生は3年生が引退するまではボールにも触れさせてもらえないような状況でした。そんな中でボールを触れるのは先輩が休憩の時だけだったので、その貴重な時間はすぐにリフティングをしてちょっとでも触れるありがたみを感じながらやっていました。自分は今の子供達みたいに裕福でもなかったし、その当初、一人一個のボールなんて持っている子はほとんどいなくて、売っているサッカーボールは高すぎて買えるようなものではありませんでした。だから、自分がボールを触れるのは唯一部活の時間。その中の先輩が休憩している時間だけ。その集中力からか、小学校を卒業する際には36回が最高だったリフティングが、1年生の6月には1000回を越えました(笑) 人間の集中力って本当にすごいですよね(笑)

その頃からサッカーをしたいのにボールに触らせてもらえない不満はどうしても強く、部活が終わっても八千代少年サッカーに顔を出しては監督に愚痴を言い(最悪な行為ですが・・・笑)、少年サッカーの練習が終われば社会人チームのアミーゴの練習があったので一緒に参加させてもらって思いっきりサッカーをやっていました。社会人相手にずっとやってもらっていたので、当然当たりとかも厳しく、いつも吹っ飛ばされていました。ずっと泣いて帰っていたのですが不思議と『嫌だ』と思わずに『必ず見返してやる!』という気持ちだったのを覚えています。毎週怪我をしているような中、大好きなサッカーがしたくて仕方がなかった自分は3年生にもなった頃には部室の鍵を管理するようになり、その鍵は自分が持っていたので毎日放課後、練習が終わってからとか土日に中学校へ行って部室に入って『一人部活』をしていました(笑) 中学校の3年生の頃は本当にほぼ毎日練習していた記憶があります。自分が2年生の時に今のJリーグが出来たので3年生の時にはプロになりたいなんて夢もうっすら持っていましたが、『井の中のかわず』だって事ぐらい分かっていたので本気で思うような事はありませんでした。それでも、ただただサッカーが好きでボールを蹴っている時間だけが楽しくて、その時間は夢中になって日が暮れてもやり続け、この時にはリフティングも10000回は越えていましたね。

そんなサッカー好きなまま卒業し、高校へ行って、社会に出て、この八千代少年のコーチとして戻ってきた時、まだ『若手コーチ』とちやほやされていた頃(笑)、その頃の八千代少年サッカーを巣立って中学校へ行った子達の愚痴が自分の時と全く同じでした(笑)

このままじゃいけないなぁ〜・・・・

という思いはあったものの、なかなかどうして良いか?という事は分からずに過ごしている自分に大きな転機が来たのは自分が八千代少年サッカーの5,6年生を担当し、その5年生達の多可トレセンも監督をさせてもらうようになった時でした。その頃は多可にサッカーが流行した時でもあり、多可トレセンには同じ学年だけで40名近くもいるぐらい大人気だったのです。遠征をしたり、大会を過ごしてその頃の『一喜一憂指導者』だった自分は一つの大会ごとに泣いたり、怒ったり・・・。それでも子供の為を思う気持ちは真っ直ぐだったと言えるし、その事もあって選手は6年生になってもトレセンを辞める事なく入ってくれてその学年が卒業を意識する時期ぐらいに、『中学生になっても教えてもらえないか?』という要望が出てきたのです。その子供達からの要望と、先をどうにかしたい我々指導者との思いが重なったこのタイミングで今のファルコを立ち上げようと決意したのです。

とは言っても自分の力で出来る事は少なく、市位さんや河崎さんが中心となって本当に色々してくださいました。行政間との話や多可内の中学校(その時は黒田庄も多可地区内)の校長先生とも立ち上げの話をしたのを覚えています。若さの勢いだけで、子供達が先でもっとサッカーをやりたくなるように、そんな気持ちでファルコをスタートしたのが2004年の事でした。

そこから12年が過ぎ、スタッフも少し変わりましたが自分が今では監督という立場になってチームを観るようになりました。

指導者を始めた頃は人の後ろにばかりいて、常にメインの方がいて『市位さん、有田さん(今の八千代少年の監督)、村上さん(黒田庄のコーチ)など』、その方々の後ろで見ているだけでした。でも、それぞれの良さを盗み、学びながら自分なりの特徴をちょっとずつ確立させて今の自分になりました。まさか自分が前に出る日が来るなんて思ってもみませんでしたが、『子供の為』という本質的な思いによってやりたくない事、しんどい事、辛い事、悲しい事も、全部を経験する事になりました。逃げずに向き合うようになりました。それによって責任感も芽生えてきたし、今となっては全ての経験がいかに大切だったか?を教えてもらえました。

長くなりましたがこういう経緯の中でファルコというものが立ち上がり、10年を越える活動が出来るようになりました。そんな中で生徒もどんどん変化してきています。年々『ありがたみを忘れている』選手が増えています。自分がサッカーをやっている頃は、自分という人間がやりたくてたまらない気持ちでやっていたのですが、今の子は恵まれ過ぎて『とりあえず』っていう気持ちでやっている子が多い。だからしんどい場面、きつい時に踏ん張れないし、『何くそ!!』って気持ちが少ない。不都合が起きれば誰かのせい。うまくいかなければ環境のせい。そんな繰り返し。肝心な自分自身の気持ちをもっと考えていくべきだと自分は思う。

今年もスタートしたのですが、新入生はとても前向きにがんばろうと思ってくれています!!だからこそ、今、その気持ちが『自分が本気だサッカーが好きでうまくなりたいと思っているか?』を確認してほしいのです。友達がいるから、先輩がいるから、誰かが入ったから・・・になっていないか???『とりあえず』って気持ちなら絶対にがんばれない。自分にはサッカーしかない!サッカーでならがんばれる!そういう強い気持ちを大切にしてほしい。

今年の新入生からは親子面談を最初にやりました。それは『保護者側からの勝手な期待や基準では成長を共有出来ないから』です。これまでもそれはありました。保護者の方が観る我が子の印象と、こちらが受ける印象が違えばアプローチしていく事も違うからです。そこを擦り合せながらやれると成長を共有出来ると信じています。自分を磨き、自分が成長する為の3年間にしていく為にも、思い切り出来る環境に感謝し、そこに関わる全ての人に感謝出来る人になってください。最初の気持ちを誰もが持っていたいのですが、忘れてしまうのが人間です。どうか忘れてしまわないように、毎日自分がどういう人間、選手になりたいか?を口に出したり紙に書いて見たりして目標に向けて努力の毎日にしてください!!

一緒にがんばりましょう!!!よろしくお願いします!!