哲学カフェ テーマ 「恋とはなにか」 「愛とはなにか」

4月30日(土)、千里文化センター「コラボ」にて、哲学カフェ開催しました。
 前回挙げられたテーマ候補の中から、参加者の希望が多かった【恋とはなにか、愛とはなにか】で、参加者は募集人員ほぼ満席の19名での議論となりました。
テーマによるのか、いつもより初参加の女性の参加が多いようでした。

こんな議論が戦われました。 概要を紹介します。
○対象が大きく、議論が発散しないよう対象を絞ってはという提案的な発言がありましたが、どちらが概念として大きいかなどから議論がスタート。概念的には愛の方が大きくて、恋は愛の一部と考えている人が多いようでした。

○ことばの違いを明確にしたいと反対語から考えて、「恋」の反対語は“無関心”で「愛」の反対語は“憎しみ”だと反対語からも思考されていまた。何を対象に使い分けているから違いを考えて、恋は人対象に使われるので、恋車、恋犬とは言わない。だが愛は人以外でも愛国心などと使われる。他方、郷土愛というが、故郷(ふるさと)恋しともいい、類似のことばでも、両方使われることもあります。本来使い分けはあいまいで、誤用がしばしば見受けられる。妻は愛していても愛人とは言わず、妻以外の人が恋しくても恋人と言わず愛人という。いずれにせよ、愛も恋も人には両方使われています。

○心情的な面から捉えて、恋はドキドキ感を伴う。恋は異性間で働くことが多いが、同性でも素晴らしい人にはときめくこともある。愛も恋も片思いがある。
その他も数多くだされましたが、意見を要約して列記すると以下のようになります。
「恋」 → 限定的、個人的だ(不安定さを楽しむ、一方向の流れも、利己的、無条件の愛は恋) 
「愛」→ 普遍的だ(安定、相思相愛、双方向の交流、相手を慈しむ、命懸け、無償の愛)

○愛と恋の感情が起きる順序や、賞味期限まで飛び出しました。恋の感情があって、愛に発展する。例えば、一目ぼれは恋から愛に発展した状況。結婚の際、末永く愛すると誓うが、末永く恋すとは誓わない。
恋は普通4年が限度だ。

○社会現象から、シスターやアイドルあるいは、スポーツ選手は「恋愛禁止」というのは不自然ではないか。ただシスターには神との誓いというれっきとした理由がある。
一方、草食系男子などと言われ、恋愛しない若者が増えてきた。何だか不自然で、現代社会が恋愛しにくい環境になっているのではないか。

○海外ではどうなのか。愛も恋も英語ではLOVEという一語で区別はない。キリストは「隣人を愛しなさい」といったが、「隣人を恋しなさい」とは言っていない。(ヘブライ語は使い分けているのだろうか?)

《まとめ》 「恋とはなにか 愛とはなにか」というのは取り組みにくいテーマだが、いろいろな切り口があった。人類愛だけについても、思いが沢山出てきそうで面白かった。
女性は、議論に加わるより今回のテーマに対する議論の内容と、展開に関心を持たれて参加した様子で、男性の発言が多くやや残念な気もしました。
好きになるのに理屈は考えません。定義や結論はなくても、大いに愛も恋もしましょう。
 
○次回の開催日は7月30日(土)、テーマは未定。