子どもの頃母と行った加賀温泉で食べたカニの味が忘れられない/食べ物が配給制だった戦後まもなく、親と一緒に買い出しに行って手に入れたサツマイモを駅で没収されたときのつらさが忘れられない/子どもの頃かわいがってくれた叔母がつくってくれたフレンチトーストと紅茶の味がハイカラなイメージと共に忘れられない/小1のとき大阪で初めて食べたアイスモナカ・豚まん・トンカツ・レモンティーはカルチャーショックだった。田植えのあと田んぼの畦で食べたぼた餅、草餅・ちまき、ミョウガの葉で巻いた味噌あん餅など母がつくった季節の食べ物の味が忘れられない/
アメリカに住んでいた頃、主人が帰日したときに土産に持って帰るイカナゴのくぎ煮を少しずつ大切に食べた/蓬莱のシュウマイ、眠眠の餃子がめずらしく、行列をつくって食べに行った/誕生日に「何が食べたい?」と言われて毎回作ってもらった母のカレーライスが忘れられないが、今つくろうと思っても同じようにできない/料理は「しんどいなー」と思うときもあるけど、あれこれ考えて楽しくすることもできるし、気分転換にもなる/”げてもの”と言われながら食べたものは、へしこ(鯖のぬか漬け)、イナゴ、アブラゼミ、ワニ、甘い麦茶・・・/食べ物が一番美味しいと感じたのは、子どもを産み終えて最初に口にした食事/一番美味しいと思うのは、気の合う仲間と一緒に食事をするとき
今では簡単に手に入る食べ物がめずらしく・貴重なものだったなど、それぞれの世代の生い立ちや時代背景が窺える談話室になりました。また家族や友人などとの人間関係が一番の味付けであることもわかりました。
次回の予定は次のとおり。
●と き:7月2日(土)10〜12時
●ところ:2階 多目的スペース
●テーマ:「私が長く続けていること」 話題提供:松本 勲さん
毎日欠かさない散歩や日記、年1回の家族旅行、音楽仲間とのバンド活動、山歩き、源氏物語・・気がつくと、長く続けていることはありませんか。長く続いているのは、好きだから?楽しいから?好きではないけど、いつのまにか生活の一部になっているものもあるでしょう。“長く続けている”ことは、その人の生活スタイルが映された、その人らしさかもしれません。そんなあなたの“長く続けていること”を持ちよって、お茶を飲みながら話しましょう。
6月4日(土)、コラボ談話室「忘れられないあの味・この食」話題提供・進行:濱崎定也さん )を開催しました。参加者は14名(うち初参加1名)。濱崎さんは、「人間は食の乏しい氷河時代を”言葉”を発達させて生き抜いた」「人間は食物と使った時間でできている」「医食同源=薬は食べ物であり、食べ物もまた薬である」など、食に関するアレコレを話したあと、「初めて食べた干しバナナの美味しかった」「妊娠中で酸味の食べ物が欲しかった母親がこっそり食べていたトコロテンを横取りしたことを大人になって知って後悔した」など、食べ物の思い出を紹介しました。そのあと次のような談話が続きました。
オニオングラタンスープの味が忘れられなくて自分でも時々つくって食べる。子どもの頃どうしても食べられなかったのがクワイ(男性)/美食家を称する友人がレストランで一度口にしたものを吐き出したのは失礼と思った/友人三人で京都に食べに行った”トヨウケ豆腐”がほとんど「麻婆豆腐どんぶり」だったのに呆然だった/子どもの頃大阪の町にやってきた「米菓子(ポン菓子)」の美味しさがバーンという機械の音と共に忘れられない/昭和30年代の食が不足していた頃はったい粉を食べた。人生の最後になにを食べたいかと言われたら「たこ焼きをあげる」/20年ほど前に米が不足した頃タイ米でパエリアをつくったら家族に好評だったが、今はタイ米も高価になってつくれない/