憲法9条の発案者が幣原(しではら)喜重郎元首相
である資料群を、日米独の市民ら169人が
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の
世界記憶遺産に共同申請した
共同申請は市民運動「9条ユネスコ世界記憶遺産登録ネットワーク」
(東京)が呼びかけて5月に行い、6月初めに受理された
来年には登録の可否が決まる
申請資料は、幣原氏の秘書だった故・平野三郎元衆院議員が
1964年、内閣の憲法調査会に提出した
「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」
(通称・平野文書)を中心に6点
「(憲法に)戦争放棄を入れたいと幣原が言った」と
マッカーサーGHQ最高司令官が米上院委員会で述べた証言記録や
マッカーサー側近の回顧録など米国側の資料もそろえた
平野文書は51年に晩年の幣原氏を訪ねた平野氏が
憲法制定前の46年1月24日の幣原・マッカーサー会談について
詳しく尋ねたもの
幣原氏はこの文書で、憲法に戦力不保持を盛り込むよう
マッカーサーに提案したことを明かし、決断までの苦悩をにじませている
幣原氏は「原子爆弾ができた以上、世界の事情は根本的に変わった
次の戦争は短時間のうちに交戦国の都市が灰燼に帰す」と
核戦争への危機感を吐露
軍拡に向かう世界を「集団自殺の先陣争いと知りつつも
1歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景」と
称して懸念する
「ここまで考えを進めたときに9条が思い浮かんだのである
そうだ、もし誰かが自発的に武器を捨てるとしたらー
その歴史的使命を日本が果たすのだ」
文書の中で幣原氏は、世界が軍縮に向かう唯一の道として
9条をひらめいたと語る
「憲法は、先生の独自のご判断でできたものか」と尋ねる平野氏には
「ここだけの話にしてもらわねばならない」と口止めしつつ
「当時の実情として押し付けられたという形でなかったら実際に
できることではなかった」と話し、マッカーサーに命令を出してもらうよう
持ちかけた経緯を明かしている
専門家の立場から共同申請人に加わった岐阜大の近藤真教授(憲法)は
「平野文書は、日本が率先して戦力を放棄することで、軍拡に歯止めをかけよう
という理念が、9条発案の裏にあったことを示す貴重な文書」と評価する
幣原・マッカーサー会談の事実にも着目する
「原爆を落とし落とされた2つの国の代表者が、制定に関わったことに意味がある
原爆の悲劇を知り、今後の核戦争の広がりを恐れた2人は自らの理想を9条に託した
9条は核なき世界の実現に向けた手段として、今後も世界に発信して行くべきものだ」
<ヤマボウシの花が咲いていました>