自分の自分探し 1

桜っていうのは、咲き始めてはわくわくさせて、満開にしてどんな人でも幸せにして、散り始めては、いとおしく思わせる、とても恋愛上手だなあ、と思うのである。
しかも、ほぼ必ず、毎年咲くのである。
忘れた頃にまたモーションかけてくるのだ。
ゲンキンなものである。
でも、それは僕たちが、一年経つといろんな事をキレイさっぱり忘れている、ともいえるし、一年経ってまた新たな気持ちになれる、とも言える。

中学校のとき、美術部だった。
が、どうも僕は絵のことは正直あんまりわかっていなくて
なんだか、足が地に付かない僕に、音楽の先生が声をかけてきて
「ハタくん、合唱、やらない?」と言った。

合唱デスカ??

美術部の顧問の先生に相談するとこう言われた。
「絵やるんやったら音楽もやっているほうがいいと思うな」

絶対グルやなこれは。 と思いながら、
このときから音楽人生も始まった。
「合唱」というジャンル自体にはいろいろ違和感を持っていたものの、歌う事が捨てられず、高校入試にまで影響する事になる。受験の時、合唱部に教えにきていた声楽の先生がいるということで加古川西高校というところを選ぶ事になる。
のほほんと、ゆっくりとした校風のその学校で、3年間。
成り行きで音楽仲間はふえて、ギターも弾くようになる。
でもってボクは受験というものに疑問を感じ始めた。
朝に数学の補講がある→なぜ?→嫌→文系に
→暗記ものが大の苦手→センター受けたくない
→気がつくと私学しかいけない。

最後まで部活をやりたいってことで、
どっか推薦入試はないかなどと考えていると、
あったのが神戸芸術工科大学。
一度めざした絵の道…。

この時点で受験3ヶ月前、赤本などすべてしまいこみ、
紀伊国屋でデッサンの本を立ち読みしては我流でデッサン。
親もあきらめてくれた。

今となっては申し訳ない選択肢だが
消去法で、ファッションデザインコースを選ぶ。

面接で、いろいろ苦笑いされるも、受かる。
デッサンも、横の人の構図パクって描いた。

入ってみると、あんまり友達ができない。
自分の勉強したいことがわからなくなって来てしまう。
一番仲良かったヤツが辞めてしまう。
なんか矛盾を感じる毎日。

ボクは、「デザイン」が何かよくわかっていない一人だった。
芸工大は芸大ではなく、「デザインの大学」なのだ。

大学でできた音楽仲間の家に泊まり込んだり。学祭でライブしたり。高校の友達とバンド組んだり。そんなもんだから学科には余計に友達ができない。
結局、入学から卒業までファッションで友達って言えそうなのは4人だけだった。

3年生の中頃、僕の部屋に、オレンジ色のiMACがきた。
人に教わるのがキライなので買った。

4年生から一人暮らしをはじめ、夏にはファイナルファンタジー9とドラクエ7同時発売という高待遇をこなし、学校には行かなくて、
なんて言ってる間に…1月末だよ(;Λ;)ど、どうしよう

「とにかく、つくったものを全部だしてきなさい!」とゼミの先生に怒られて
グラフィックの作品はコツコツつくっていたのでそれをあるだけ出した。

胃が痛かった自分の審査会。意外にもすごく援護してくれた先生もいて。

つくり直しを条件になんとか卒業。
ありがたいことに、いくつか就職先を紹介されるも、ピンとこないまま2月末。
ふと目にしたパソコン教室の講師の求人。

そうか!お金もらいながら勉強するには、先生になればいいんだ。
このときに、こういう発想したことが後の人生に影響与えていると思う。

面接では無理矢理作品集など見てもらい、
とりあえず、やってみてくださいという感じで採用。
あっという間にパソコンの先生になった。
1ヶ月後には仕事が始まるらしい、ど、どうしよう…

世の中、テンションなのである。

続く。