朝晩秋の気配を感じはじめた9/13(火)の午前中、26名という大勢の方の参加の下、多文化カフェを開催しました。
テーマ 「内モンゴルの生活や文化とモンゴル音楽」
語り手 芦田悦男さん、ホウザンさん、アルンジョルさん
芦田さんは、長年に亘り内モンゴルで日本語教育をされ、その後も、研究や技術習得に来日された人たちを多数世話されています。日本人がモンゴルと聞けば、白鳳の出身地と思われますが、それは外モンゴルで、今回紹介するのは中国領内の内モンゴル自治区です。今夏、芦田さんの仲間8人が、内モンゴルで親しくされている家庭を訪問されました。その際には遠くに住む親族の方も集まり、羊を屠っての料理など、温かいもてなしで大歓迎されました。パーティーで出されるお酒は60度という強いものもあります。お酒が飲めない人は歌を歌い、歌も歌えない人は、有名な詩やその場で自作の即興詩を披露します。アルンジェルさんにモンゴルの「戦いに出た夫が早く帰ってきてほしい」という詩を披露してもらいました。
人種的には日本人と近い関係がありますが、文化的には驚くほど差があります。日本は定住、農耕、海洋文化で、モンゴルは遊牧、大草原と砂漠文化という違いからきています。一番近い隣でも、訪ねるのに半日も掛ります。面積が日本の約3倍もあるのに、人口が2700万人です。中部地方から九州地方までの広さで高校が1校しかありません。モンゴル人は方角を非常に大切にします。移動式住宅であるゲルの出入り口は必ず南側にあり、ゲルに入って正面(北)が床の間の様で、必ずチンギス・ハンの肖像画が飾られます。来日中の二人は日本でもチンギス・ハンの肖像画を飾っています。中央に炉があり、動物の糞の乾燥したものを燃料に使います。燃えるといい匂いがして、健康にもいいと医学的にも証明されています。炉の左側(西)が男性の居場所、右側が女性の使う場所に決まっています。入り口を入ってすぐの右手に台所があります。ゲルはワンルームですから、夜は皆同じフロアーで雑魚寝のような恰好で寝ます。ゲルの構造は傘のような骨組みで、てっぺんの部分は開閉できます。天井から差す太陽光がどの骨に当たっているかで、時間を知ります。日本人は狭い土地で、狭い家で暮らしていますが、日本の住宅は機能的に優れていると感じ、アルンジェルさんは日本の大学の博士課程で、日本家屋に関する博士論文を書いています。
モンゴルの家畜は五畜と言われますが、畜産家では、牛、ラクダ(フタコブラクダ)、馬、羊、山羊を指し、農家では、牛、犬、豚、羊、山羊と異なります。ラクダが飼い主を離れて1か月ほどもいなくなっても、探すことはしません。なぜなら間違いなく戻って来るからだとのこと。優秀な畜産家の人は、百頭ものラクダがいても、顔、体形だけでなく、足や足跡を見れば自分のラクダが分かるとのこと。ラクダの群れでオスは1頭しかいません。生まれたときは当然雄雌半々ですが、オスは1歳の時に去勢され、去勢した睾丸は食べられます。食べるといえば、ラクダの足の裏の肉もおいしく栄養価満点だとのことでした。競馬は盛んなことは知っていますが、ラクダに乗ってのラクダの耐久レースも行われています。
動物を料理する際、例えば山羊の場合では、心臓に最も近いところに指を突っ込み、爪で血管を一瞬に切断します。この方法が、動物を最も苦しまずに殺す方法だと。動物を殺した場合、血の一滴もこぼさず、頭から尻尾まで捨てるところなく100%利用します。血はソーセージのような形に乾燥させて食べます。さばいた後、きれいにされた骨は、常に同じ人が、同じ部位をもらうしきたりになっています。骨は煮出汁を取り畑の肥料にし、最後に残った骨も乾燥後、細かく砕いて、草原に撒いて草原を維持するので、完全なエコサイクルになっています。
紙面の都合でその他の文化や独特の料理、民族衣装、馬具まで紹介できないのは残念です。
このような大自然と共に生活している内モンゴルにも、近代化が押し寄せています。内モンゴルは石炭、レアメタル、金などの鉱物資源に恵まれ、これらの採掘のため、多くの中国人が移住してきています。モンゴル族の人口はわずか400万人で、漢民族の人たちが圧倒的多数です。中国政府は、遊牧から定住することを勧め、自治区首府であるフフホト市では、大きな団地が建設されそこで暮らすようになり、急速に伝統文化が失われています。最後にホウザンさんにモンゴルの「故郷」の歌、芦田さんには伝統楽器である馬頭琴で「荒城の月」を演奏してもらいました。
主な質疑
Q1:生魚は食べられますか。
A1:私は日本へ来て初めてアルバイトしたのが回転すし屋でした。魚が生臭くてとても嫌でした。
3か月経って、店長から鮨を食べろと言われ、最初の2日はいやいや食べましたが、3日目においしく感じ、今は大好きです。
Q2:日本に来て海を見てどんな印象を受けましたか。
A2:日本に来て3年間は海には行きませんでした。来日するフィアンセと一緒に見たかったから。初めて観光船に乗ったとき、私は泳げないのでとても怖く感じました。しかし、海岸の景色が素晴らしく、フィアンセと一緒に歩いてとてもロマンチックでした。
次回開催 11月8日(火)10:00〜12:00 於コラボ
テーマ オーストラリア、フランス、中国、アメリカ(イラン生まれ)の留学生4名の話