「川端康成文学館」の見学


○9月24日(金)午前11時頃、JR茨木駅から歩いて約20分、「川端康成文学館」を見学。

・右は「茨木市立 川端康成文学館」(茨木市上中条2丁目)です。
・この文学館は、昭和60年(1985)5月に開館。
・9月15日、瀧本和成先生の講義の時、この文学館の紹介があり見学。


○川端康成文学館のあれこれ
・右の写真…文学館の案内書(入場料は無料)。

◇川端康成・略年譜
・1899年(明治32):大阪市北区生まれ。2歳の時、医師であった父が死去。3歳の時母も死去。現在の茨木市宿久庄の祖父母のもとにひきとられる。
・1912年(明治45):13歳。茨木中学校(現・茨木高校)に入学。1917年:18歳、上京して第一高等学校に入学。
・1920年(大正9):21歳。東京帝国大学文学部入学。
・1921年(大正10):22歳。同人誌「新思潮」刊行。「招魂祭一景」で文壇に登場。
・1924年(大正13):25歳。横光利一らと「文芸時代」を創刊。新感覚派の作家として活躍。
・1926年(大正15):27歳。代表作「伊豆の踊子」を発表。秀子夫人との結婚生活が始まる。
**「浅草紅団」(1929年)、「禽獣」(1933年)、「雪国」(1935年」、「故園」・「夕日」(1943年)、「千羽鶴」・「山の音」・「骨拾い」(1949年)、「眠れる美女」(1960年)、「古都」(1961年)など多くの作品がある。
・1948年(昭和23):49歳。日本ペンクラブの会長(〜昭和40年まで)。
・1961年(昭和36):62歳。文化勲章受賞。1968年(昭和43):69歳。日本人として初のノーベル文学賞受賞。
・1972年(昭和47):自ら、72歳の生涯を終える。

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◇見学メモ
・川端康成…日本人初のノーベル文学賞受賞者。大阪府茨木市の名誉市民。幼少期から10代の多感な時期を茨木で過ごす。
・茨木との関わり…祖父母の過保護。祖母が死に、祖父と二人暮らし(1906年、7歳)。孤独でいびつな生活。淋しさをまぎらすために読書(幅広く読む)。中学校の寄宿舎での団体生活。
・若き日の恋…小説「篝火」。1919年(20歳)、康成は行きつけのカフェで働く14歳の伊藤初代と出会い、心惹かれる。結婚の約束をしたが、ある日、初代から一方的に別れを告げる。
・1926年(大正25)、雑誌「文芸時代」に発表。『伊豆の踊子』、一躍有名になる。
・1929年(昭和4)、『浅草紅団』(関東大震災から昭和の初めにかけて、モダンな風俗や世相を生き生きと伝える)、『禽獣』(多くの犬や小鳥を飼っている。次々と実験的な作風、手法を試みる)
・1935年(昭和10)から断続的に『雪国』を書き継ぐ−(越後湯沢温泉を舞台に、主人公島村を通して描かれる。駒子と葉子、二人の女性のひたむきな生を、雪国の風物とが織りなす、抒情的で幻想的な美の世界)。
・1960年代に入り、康成は日本ペンクラブの会長、国際ペンクラブの副会長として活動に奔走する一方、『眠れる美女』、『古都』などの作品を発表。還暦を過ぎても衰えることのない創作意欲。
・世間的な名声に包まれていた1972年(昭和47)4月、逗子マリーナの仕事部屋でガス自殺。